カトリックの司祭になるには神学校に入り、祈りと共に聖書や神学などを学びます。経験豊かな司祭が彼らの養成を担当し、相談相手になります。司祭を志す青年たち、「神学生」は共同生活をしながら、自分の人生が、生涯独身で神と人を全身全霊で愛し、仕える道なのか、あるいは家庭をもつなどの違う形で神と人を愛する道なのかを識別します。
識別がはっきりすると階段を上るように司祭への道を進みますが、どの段階においても強制されることはありません。祈りの中で神さまと相談しながら自由に選択します。通常、6~7年の時がかかります。
先日、神学生たちが書いた冊子を読みました。神との出会い、司祭になりたいと思ったきっかけなど、どの頁にも神さまの素晴らしい計らいが見てとれました。
神学生は一人一人違った性質、違った環境で育っています。
神さまは見事にそれぞれにあうタイミングで人生の大切な場面に宝の箱を用意していました。きっと宝の箱はいくつもあったことでしょう。あるものは見過ごし、気づいたときに中を開けた、ということだと思います。
宝の箱を開けると、どの人も神への理解を一歩ずつ深め、光と喜びを感じていました。
私は聖書の次の言葉が思い浮かびました。「神は光であり、神には闇が全くない」。(参 ヨハネの手紙一 1・5)
人生のターニングポイントは苦難や試練であることが多いと思います。そのおかげで自分が何を求めていたのかがわかるのです。光に照らされて、「自分のためでなく、人のために人生を使う」という選びができたのではないでしょうか。その旅立ちは、自分のことを先に考えている時には得られない大きな喜びへの道だと思います。