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捧げる

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 私たちが贈り物を交わすという習慣を持つようになったのは、いつの頃からだろう。人間の素朴な生活の中で、自然に始まったような気もするが、本当のところはわからない。ただ、大切な人を喜ばせようと真心を込めて何かを贈る、灯るような幸福を、人間は遥か昔から持ち続けてきたのである。

 「捧げる」とは、その真心が尊い存在に向かう時の言葉のように思われる。「捧げる」という言葉は、高く上げる、という意味と惜しみなく尽くす、という意味を持っているので、人が心を尽くして神に祈る時には、「祈りを捧げる」という表現が本当にふさわしい。

 聖イグナチオの祈りである「自分をささげる祈り」には、「主よ、私の自由をあなたにささげます。私の記憶、知恵、意志を受け入れてください。私のものはすべてあなたからのものです。今、すべてをささげ、み旨にゆだねます。」という言葉がある。

 授かった能力を自己の利益のためにではなく、神の意志に叶うように発揮する、自分自身をすべて神に捧げるのだ、という祈りには、優れ、強靭でありながら謙虚に頭を垂れる魂の姿が見えるように思う。

 私などは、捧げようにも、まず立派な記憶も知恵も何もない。また祈るほどに、能力の乏しい自分、心の弱い自分が見えてきて、ますます悲しく情けなくなっていく。

 でも祈り続けるうちに、悲しい気持ちごと、悩みや失敗、傷の痛みなどをむしろ捧げないではいられなくなる。私は本当の私自身を捧げるより他はないのだから。

 クリスマスが近い。多くの教会で祈りが捧げられているだろう。それらは皆、自分を捧げ、心を尽くした贈り物なのだ。よき季節、幸福な季節がやって来る。