終戦後、神奈川県の葉山から新潟県の山深い村に疎開します。そこで暮らした私の少年時代、中学、高校の時代を今、あらためて考えると、少年の私には、わけのわからない苦悩の時代のようでありました。
父が海軍の軍人で、戦犯としての時代を過ごしました。戦犯家族の私たちも、それなりに辛い生活を送っていました。そんな環境で過ごした新潟県から東京の大学に進み、初めて良い友達に恵まれ、青春の喜びも感じだしたようです。しかし、努力してもうまくいかない焦り、難問にぶつかり、輝くどころか辛いことだらけ。
自分では解決できない問題がありすぎて、あまりにも苦しく、しばしば恩師を訪ねて質問をするのですが、その返事にピンとこないのです。がっかりして帰宅します。
新潟時代、ある日たまたま長岡のカトリック教会を訪ねたのですが、そこで初めて神父様から「永遠の命」「神」「天国と地獄」という話を聞かされます。ああ、こんなところに来なければよかった、まだまだ人生には、今まで以上の、ややこしい人生課題があるんだなあ、と思いました。
ところが、のちに洗礼を受けましたら、人を愛すること、神様の教えを大切にすることの重要性に目覚めます。
毎日、私は自問自答の独り言、この「永遠の生命」という言葉が私に大きな影響を与えたようです。
その後、欧米の大学研究室で恩師が教えて下さった「人間の死は永遠の生命への通過儀礼」という言葉が、何故か、私に明るい希望を与えだしたようです。自分の死は終わりではなく、永遠の生命への通過儀礼にすぎないと改めて意識しました。
自分の死を恐れていた私ですが、この言葉を信じると今まで見えなかった明るい世界が輝いて見えてきたようです。