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ひらめき

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 人生の途上で色々な困難がありました。

 青春時代にはトルストイの小説「戦争と平和」を愛読していたおかげで、日本における学生運動からくる悩みも半減した思い出があります。当時の私の不安感のもとは、自分の心の中から湧き出てくる「正義感」でしたが、今から想うにその正義感は怪しげなものでした。大学図書館や講義で学ぶ学問をひたすら信じて、身近な人々の考え方や悩みを低くみていたようです。

 青春の特徴かもしれませんが、人々の感情を素直に受け入れずに独善的に生きていたようです。一方で暗い自分に嫌悪感を覚え、逞しく明るく爽やかに生き抜く知恵が何故、自分にはないのだろうとも悩んでいました。

 その折々の悩みを解決してくれたものは恩師であったり親友であったり、優れた小説や美しい音楽、大自然でした。

 私の場合は、学問からみたらいい加減な「ひらめき」でしたが、大きな知恵の源だったような気もします。不思議なのですが、同じひらめきでも種類があるようで、例えば大好きな音楽を聴いている時と絵画鑑賞や、森の散歩でのひらめきはそれぞれ大分違うようです。

 また年齢によっても「ひらめきのきっかけ」が違ってきたようです。さらに、洗礼を受けた後と前でも相当違いました。その原因を探ったことがあるのですが、それは、洗礼の前後で「体験の解釈」が相当違ってきたことに関連しているようです。

 以前の色々な不安感、孤立感、絶望感は嫌悪感に繋がるものでしたが、洗礼後はそれが希望へのスタート地点になりました。解釈の仕方が変化したのです。

 愛である神様を感じて、明るく爽やかに解釈するようになったのだと思います。