「見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか」――と、山本周五郎は『赤ひげ診療譚』の中で語ります。(凝縮された言葉だな)と思います。自分も似たような経験をしたことが、思い起こされます。その思いが、フッと何か新しいことに気づかせてくれます。これもまた、一つのひらめきといってもいいかもしれません。
今の世の中は、直ぐに効果や結果が現れることが求められるのではないか、と思います。手間暇のかかることは、歓迎されません。効率が優先され、直ぐに役立つものがよしとされ、正解か否か、成功か失敗かといったように、単純な二者択一が求められます。
「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」――と、パウロは語ります。(1コリント1・21)
宣教――それは、なかなか効果の見えない、一見すると徒労であり、無駄なことと思われることかもしれません。しかし、神は、そのような人間の目には愚かに思われる方法を、望まれました。それは、昔も今も変わりません。これが、神のやり方です。
真の人間の希望――それはいったい、何なのでしょうか。もしそれが徒労と思われることの積み重ねによって与えられるものならば、自分の意に反したさまざまな経験の積み重ねが、必要なのでしょう。そこでは忍耐が求められます。 パウロはこう語ります。
「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」。(ローマ5・3~4)