創作の仕事は「ひらめき」の力によって成り立っている部分が少なからずある。「詩の一行目は神が書き、二行目からは詩人が書く」と言った詩人もいたくらいだ。ただこの言葉は、一行の詩を思いつくのは一瞬のひらめきだけれども、一編の作品を完成させるには、詩人としての言葉の技術や感性を投入して過酷な作業をしなければならない、ということを意味しているのであって、本当に神様が天から一行目を降ろしてくださる、と言っているわけではない。
だが、多くの人は、芸術家や発明家、社会的成功者たちは天から稲妻のように降ってきた新しいアイデアやひらめきを利用して、仕事をしたのだと思っているらしい。そして、そんなひらめきの稲妻に打たれることのできる人は、特別な天才であり、普通の生活をしている自分たちとは縁のない話だとも思っているらしいのである。
でも本当は、ひらめきは自分の中からやって来るのだ。長い間、求め続けてきたもの、折に触れ考え続けてきたものの答えは、自分自身の脳が見つけてくれる。それは新しい組み合わせだったり、思いがけない近道だったり、物事の本質だったりする。自分をもっと頼りにしてくださいと脳が言ってくれているようだ。まずは求め続ければいいのである。
或る時、先輩にあたる詩人が、手持ちのアイデアを書き尽くしてしまって、「乾いたタオルを絞るように書いているのよ」と愚痴って来られたことがあった。新しく学び、吸収することをしなければ、私たちは乾いたタオルと同じなのだろう。天才と呼ばれる書き手たちほど、努力家であり、苦労しているのだと知ったのも、その頃のことであった。