アフガニスタン復興のために尽力した、故中村哲医師の講演を聞いたことがあります。
当時71歳で、真黒に日に焼け、気さくで小柄な土木工事のおじさんという感じの人でした。というのは、中村氏自らが先頭に立って工事現場で働いてきたからです。
仲間や現地の人と共に掘った井戸は1600本。拓いた用水路は27キロ。医者である中村氏が、なぜこのような活動をしてきたか、理由があります。
1991年から中村氏は、アフガニスタンの小さな村々に、次々と診療所を作っていきました。しかし、ソ連との紛争後傷ついた国土に、百年に一度という大干ばつが襲いました。1200万人が被災し、400万人が飢餓に苦しみます。年間降雨量200ミリの砂漠地に、農作物は育たず、食料不足で、栄養失調で死ぬ人が後を絶ちません。
診療は、困難を極めました。清潔な水が手に入らないためです。
飢えと渇きは医療では治せないことを中村氏は痛感し、「百の診療所よりも一本の水路を!」と活動を始めます。
電気が通っていない、日中は50度を超える灼熱の砂漠で、土を掘る道具は、スコップとツルハシしかありません。けれども、5年後には、1600ヶ所の水源を確保し、数十万人の村人が生活できるようになりました。
しかし、理不尽にも、アフガニスタン国内を車で移動中に何者かに銃撃を受け、2019年、中村氏は帰らぬ人なってしまいます。
偉業を成し遂げても謙虚だった中村氏の死を誰もが悼みました。
その2年前の講演で、中村氏が語った言葉を私は思い出します。
「私は偉いことをしようと思ったのでなく、良心に従ってきたのです」。
神からの声に従い、天命をまっとうした人生だったように思います。