小学生の頃、カトリックの教え、「公共要理」を習い、これで安心と大変嬉しく思ったことがある。
天主のご存知にならぬことがありますか。
天主は全知の御方で、ご存知にならぬことはありません。
天主のお出来にならぬことがありますか。
天主は全能の御方で、お出来にならぬことはありません。
まあ、何といい神さまが自分の傍についていてくれるのだろうと大船に乗ったような気持ちになったのである。
学校の科目のテストがあっても、神さまに頼めば大丈夫、鉄棒の「さかあがり」のテストがあっても、神さまに頼めば大丈夫、と単純に思ってしまったのである。
それ以来、時間があると教会へ駆けつけ、神さまに熱心にお祈りするようになった。
しかし、「さかあがり」は熱心に神さまにお頼みしてもなかなか出来なかった。
それでそのことを神父様や教え方さまに訴えた。
すると、神父さまは、朗らかに笑って言った。
「美沙子、世の中には『人事を尽くして天命を待つ』っちいう言葉があるとよ。一生懸命に努力ばしてから神様に頼むとよ。努力もせんと神さまっちいうてすがっても聞いてはくれんとよ」。
それで私は「さかあがり」の上手な友だちに手伝ってもらって、何回も何十回も練習して、やっと「さかあがり」が出来るようになった。
そのことを神父さまに報告すると、神父さまは大変喜んでくれた。
それ以来、何に対しても一生懸命努力して、そのあと、神さまに委ねるということを今日まで続けてきた。
神さまは全知全能のお方だから、日頃の人間の努力をよく見ていてくださるのである。