一致を願うということは、言うのは易しいけれど、実はとても難しいことのような気がします。いろいろなところで紛争が起こっても、なかなか解決には至りません。どうしてかなあと思うのです。
一つには相手と完全に一致しなければ、あるいは、相手が自分たちの言い分を完全に受け入れなければ、解決とはいえないという考えがありはしないでしょうか。でも実際には、人はみんな違うのですし、住むところも、育ったところも違うのですから、懐かしいふるさとも違うのです。それでも、この世界の中で一緒に生きて行くためにはどうしたらいいのでしょう。
それは、きっと想像力を働かせて、自分とは違うことを考えている人を受け入れようとすることではないのかなと思います。それは、逆も言えることで、相手も自分のことをどこか違うとは思いつつも受け入れてくれるといいなと思うのではないかと思うのです。
一致を願うということを考えてみると、何から何まで同じであることを望むことではないのだと思います。何から何まで同じということはあり得ないのだと思います。
たとえば、二人の人間が一緒に生きていて、それでも、すべてが同じというわけにはいかないのだということを知らないといけないのだと思います。なぜなら、人を愛するということはそういうことだと思うからです。こういうところは、私とは違うし、あまり好きとは言えない部分だけれど、それでもこの人を愛しているのだと思えたらいいなと思います。それはきっとお互いのことで、それこそが一致を願うということではないかと今の私には思えるのです。
何から何まで一緒ではないけれど、それでもお互いを大切に思う。これを大切にしたいのです。
(「心の糧」アーカイブ2014年10月より)