私たち人間は、完全には無欲無私になれません。たとえ善いことをしても、無意識に自己の満足や評価を求めてしまいます。
しかし、人間の中でただ一人、聖母マリア様だけは神を愛し、100パーセント「無欲無私」に神のお望みを果たされました。マリア様は14歳くらいの時に、ナザレという町で大天使ガブリエルのお告げを受けました。それは、男の子を身ごもるということでしたが、まだ結婚をしていなかったのでとても驚きました。「どうしてそのようなことがありえましょう。わたしは男の人を知りませんのに」と聞いています。が、天使が「神にできないことはない」と答えるとすべてを受け入れました。(参 ルカ1.26~38)
その背景には、いつか、乙女からダビデ王の子孫である「救い主」が生まれる、と旧約聖書に預言されていたことがあります。ユダヤ人はみなこの方を待っていました。誕生の場所がベツレヘムであることも預言として記されています。マリア様は、天使の言葉を、ある程度理解ができたはずです。
それから33年の時が経ちました。不正な裁判にかけられたイエスは、「罪を見いだせない」と宣言したローマ総督が責任を放棄したため十字架にかけられました。母マリア様はその足下で我が子が死にゆく様を見つめ、大きな苦しみを味わわれました。母親にとってこれほど残酷な悲しみ、苦しみはありません。しかし聖母は、イエスが人類を救うために人となられた神であること、人類の罪を償うためにはこの犠牲が、どうしても必要なことをわかっておられました。ご自分のことは顧みず、人間の救いを求めたお二人のみ心は、無欲無私の愛です。この犠牲のおかげで私たちは、いま、大胆に神に近づくことが許されているのです。