「まなざし」(眼差し)とは、「目の表情、目つき」と辞書にあります。目を見ますと、その人の感情や意思を読み取れます。「眼は、心の窓」と言われる所以です。願わくは、いつも慈しみある眼で、いたいものです。
考えてみますと、「まなざし」と言うとき、眼は、眩しさもあって、天を仰がず、視線は、水平か、むしろ下の方、地面を見ているように思います。自分は、高いところにいて「見下ろしている」と言った感じです。
歩いているときも、前方は、もちろん、視線を地面にも向け、足元に注意しています。「なにか落ちていないかナア!?」と言わんばかりに視線は下向きです。知人、友人と会ったときには、視線を合わせますが、知らない人とは視線を合わせるのを避けます。
「まなざし」や視線は、目に見えない心の発信、心の信号と言えるかもしれません。心の信号が互いに合致すると、互いに心を開き、コミュニケーションが始まり、友情も育まれていきます。無意識で見過ごしがちな心の信号「まなざし」にことさら気を配り、友情発端のチャンスを失わないよう心がけたいものです。心の信号、「まなざし」は、あらゆるところで点滅しているように思います。
ところで、人間同士、真剣な対話のときは、互いに、目と目は、にらみ合い、視線が一致しています。「目をそらす」ことは、ありません。しかし、真剣な対話を望まないときは自然に、あるいは、意図的に「まなざし」をそらして、その場をちゃかしてしまいます。
いかなる対話においても、相手の「まなざし」がどのような状態にあるか、ことさら意識し、相手の目の表情を見極めることをおろそかにしてはならないと思います。