
私は1995年の夏に約1カ月間、東ティモールを訪れる機会がありました。当時、東ティモールはインドネシアから独立しようとしている状況でした。長い独立運動の中で、とても貧しく、人々は服装も本当に最低限の物を身につけていました。
ある日、サッカーをしようと子供達が誘ってくれ、空き地に行ってみると、ボールはゴミをサッカーボールの大きさに丸めたもので、子供は皆裸足でした。
日曜日になり、教会で御ミサに与りました。私はたいして服を持って行かなかった為、短パンにTシャツでした。教会に寝泊まりしていた私は一番乗りでした。
しばらくすると、村の人達が教会へやって来ました。すると、大人の男性はスーツ、女性はドレスを着て、裸足で遊んでいた子供達の足には靴がありました。どこかから寄付されたものなのでしょう。サイズも、デザインも、お世辞にも合っているとは言い難いものでした。それでも、一番良い服を大事にとって置いて、週に1度、御ミサに与る日に着て教会へやって来るのです。なんだか自分の格好がとても恥ずかしくなりました。
もちろん、旅行中であったので仕方なかったのですが、正直なところ普段から私は日本でも御ミサに与る時にそこまで気を使っていませんでした。とびっきりのお洋服を着せてもらった子供達が、教会の最前列で跪いて手を合わせて、十字架に張り付けられたイエズス様を見つめるまなざしが、私の脳裏に焼き付いています。
理屈としては、祈る心があれば、服装など関係ないのかも知れません。それでも、神様を讃えるために精一杯の準備をして、イエズス様を見つめる子供達のまなざしに、純粋な信仰を見出さずにはいられませんでした。

小学生の頃、腕を骨折して入院した時、父が仕事先から病院に駆けつけてくれました。
ベッドで横たわる私に向けてくれたその時の父の優しいまなざしと表情を、今も時々思い出します。
90歳の私の父は典型的な昔の人間で、子どもの頃の私は何よりも父が恐く、いつも父の顔色を窺って育ちましたが、この思い出が今も鮮明に私の心の中に残っているのは、私にとって、父の優しさと愛情を実感した印象的な体験だったからだと思います。
「目は口ほどにものを言う」ということわざがありますが、会話がなくても言葉を超えた目線や表情、しぐさ等で相手への強い思いや気持ちは相手に伝わるものです。
数年前、母が入院した時も、父はあの時私に向けてくれた同じまなざしで母を見守っていました。何10年も経ってからの出来事でしたが、母の心身の痛みに心から共感する父のまなざしに出会って、私は、かつて私に向けてくれた父の眼を思い出し、あらためて父の人となりを温かい思いで理解できたように思いました。同時に、父を理解しようとするこの私をもっともっと深いまなざしで見ていてくださる神様のいつくしみのまなざしを味わう機会になりました。
修道会に入会し、育った家庭環境や文化の違う会員と生活するようになりました。神様が呼び集められたと信じるお互い同士が支え合う共同生活の中でも、時にはその仲間を叱責したり、自分が理解できない言動を中傷したりする冷たい目線を感じる現実に出くわします。
そんな時、父のまなざしを通して味わった御父のいつくしみを思い起こし、目に映る出来事や言動を超える一人一人の思いや人となりを理解できますようにという祈りを深めたいと願う日々です。