
クリスマスを祝う習慣は、日本でも、もうすっかり定着したようだ。それでも、クリスマスが善き恵みであることは、まだよくは知られていない。
昨年のクリスマスイヴの朝、電車の中で、こんな会話が聞こえてきたそうだ。「ヨーロッパって、クリスマスに宗教絡めるらしいよ。教会行ってお祈りしたり」「何それ、折角のクリスマスなのに」。クリスマスの由来と意味を知らない故の会話なので、微笑ましいが、同時に残念な気持にもさせられる。彼女たちの「折角のクリスマス」とは、恋人との特別な夜や、楽しいプレゼント交換パーティなのだろうか。だとしても、悪いわけではないが、なぜ贈り物をし合う日なのかを考えてみるだけで、知らなかった世界が新しくひらけてくるのではないかと思うのである。
教会のクリスマスの飾りつけは美しい。灯された明りは、通りかかる人を明るませ、羊飼いや子羊の飾りは、浄らかさを見る人に分け与えてくれる。どんな華やかなイルミネーションより、この灯は人の心を打つ。それは、この灯が、かつて或る小さな馬小屋に灯り、人々の大きな喜びとなった光だからだ。遥かな道のりを旅して来て、今も一人一人の喜びになろうとしている光を、私たちは見ているのである。
教会の前を通りかかった人が、ふと目を止め、足を止めることがあるのは、聞こえてくる祈りの中に、時を越えてあふれる光や声が感じられるからではないだろうか。
電車の中にいた声の持ち主も、心を引かれる何かがあって、イヴの日に教会の話をしたのだろう。彼女の心を引き寄せた見えない手、そしてその手に静かに包まれている光を、私はクリスマスの恵みと呼びたいと思う。

師走が近づくと、街中にはクリスマス・ソングが流れ、様々な飾り付けが目に入ります。夜、ひっそりとした住宅街を歩くと、所々の家で星やサンタクロースなどのイルミネーションが輝き、私たちの心を暖めてくれます。
クリスマス。神の独り子、救い主、イエス・キリストが私たちのところに来られ、生まれた事を祝う特別な時。一人の小さないのちの誕生、救い主の誕生を世界中でお祝いします。皆様も大切な人とともに過ごし、その時を祝っておられるのではないでしょうか。
救い主の降誕劇を行う幼稚園では、この季節が近づくと、今年は誰が、マリア様?、ヨゼフ様の役をやるの? 宿屋の主人、羊飼い、3人の博士たちは・・と子供たちの配役に関心が集まり、子どもたちは熱心に練習をし、盛大に降誕劇が行われます。
日本では25日を過ぎてしまうと、まるでクリスマスがなかったかの様に、お正月ムード一色となりますが、外国でこの時期を過ごされた方はお解かりの様に、クリスマスの祝いは本来、年明け1月上旬頃まで続き、人々は喜びのうちにこの時を過ごしてゆきます。
クリスマス。心からの準備のうちに、大切な救い主イエス・キリストの到来を待ち、誕生を喜び、そして出会った喜びのうちに、イエスと共に生きることを大切にし、何度も何度も確かめながら、過ごし深めてゆく時。
私たちは大切な方の誕生日を毎年祝います。そのいのちの誕生、そして出会いを大切にしながら、深め、ともに生きる喜びを新たにしてゆくことができれば、どんなに嬉しいことでしょうか。
クリスマスを過ごすうちに、ふと気付くと、私たち一人一人のうちに、心のうちに、救い主をお迎えし、その方とともにいる。そんな時を迎えているかも知れませんね。