まなざし

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

 ある航空会社の客室乗務員の研修会の事が新聞の記事として掲載されていました。講師の先生は、お客様を歓迎する為に、目を三日月形にするように指導されたと記されていました。なるほど、目を三日月形にするように努めれば、自然な笑顔を作る事が出来て、相手を歓迎する雰囲気を醸し出す事が出来ます。

 ただ、「目は口ほどに物を言う」とも申します。もし苦手な人が現れた場合、三日月形の目を作る事は、至難の業になります。苦手な人を見る時、私達はどうしても裁くような目を相手に向けてしまうからです。

 このような時、私達の心は、相手を受け入れる事が出来ない、或いは相手を受け入れたくないので、相手を自分の心の中から追い出したいと言う思いで一杯になっています。相手を受け入れる為には、自分の心の在り方を変えるしかありません。

 その為に、イエス様は仰いました。「敵を愛し、自分を迫害する者の為に祈りなさい」。(マタイ5・44)確かに私達は、誰かの為に祈っていると、その人が私達の心の中に住まうようになります。好感を持っている人ならば、努力するまでもなく自分の心の中に住まわせる事が出来ますが、その逆のタイプの人であれば、私達の心の中に住まわせる事は、不可能な事に思えてきます。それゆえイエス様は、私達に祈るように命じられました。

 イエス様はまた、次のように仰いました。「あなた方の天の父が完全であられるように、あなた方も完全な者となりなさい」。(同5・48)父なる神様は、全ての人をご自分の心の中に住まわせようとしておられるのだと思います。全ての人に及ぶ、そのまなざしは、慈しみに満ちている事でしょう。その心に、少しでも近づけたらと思います。

まなざし

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 マザー・テレサのまなざしは、私に先が見えなくても喜びにあふれて歩むための愛の光線になった。今でも1984年11月、マザー・テレサが来日し、仙台の教会での講演を聞きに行った時のことを思い出す。当時、私は米沢に住んでいた。ボストン生まれの司祭と信者二人で「マザー・テレサの講演に行こう」ということになり、朝4時に司祭の運転する車で出発した。

 司祭は、ニール・ダイアモンドの「スィート・キャロライン」などを大音響で流した。マザー・テレサと会える喜びに心躍ったのだろう。後部座席に座った私たちは「な~んだべ」と言いながらも受け入れた。8時前には仙台の教会に着いた。教会の聖堂の会衆席はいっぱいで、私たちはそれぞれ席を探した。私は前から3分の1程の中央通路に面した席に座った。私の前の席は子ども一人が座れるぐらいの幅で空いていた。

 祈りながら、マザー・テレサの到着を待った。歓声が湧いた。マザー・テレサが到着したのだ!マザー・テレサが通路を歩いてくると、聖堂の空気が変わった。小柄で歩くスピードが速い。1番前のゲスト用の席に座ると思ったら、なんと私の前の少し空いている席に座った。マザー・テレサの「私は自分の好きな席に座るの」と、幼い子どものように輝くまなざし。私はマザーの自由さに感動した。

 講演を促されると、さっと移動してマイクの前に立ち、憂いを含んだまなざしで、誰にも顧みられないホームレスの方がた、人工妊娠中絶される命に対して、無関心である日本の現実を訴えた。神様からいただいた命と時間を、自由な発露で行動していくマザー・テレサ。彼女は主キリストの愛のまなざしを余すところなく映し出している。


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