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クリスマスのおとずれ

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 暦の上では待降節、御降誕を待つ季節が始まった。

 気がつけば、私たちの日常は、数えきれないほどの「待つ」ことで出来ている。順番を待ち、返事を待ち、毎朝、電車が来るのを待って通勤、通学する。そしてその一方で、待たせることに罪悪感を持ち、「お待たせしないように」全力を尽くして働く。

 だが、サービスを受ける時に起きる、些細な不手際や待ち時間を怒っている人を見ると、その人には事情もあるのだろうけれど、私たちは、待つ能力が衰えてきたのかもしれないと気づかされる。

 この地球上に、人間中心の社会を作り、効率の良さを追求してきて、私たちはずいぶん思い上がってしまったようだ。不便や不快、不本意なことを我慢せず、他人に当たり散らす前に、待つ心の深さを知り、謙虚でありたいと思う。

 12月になると、私の通っていた小学校では、アドベントカレンダーが作られて壁に貼られていた。クリスマスまでの日付が小窓になっていて、一日開けるごとにお祈りを捧げるのである。生徒が全員、熱心に祈ったわけでもなかったろうけれど、4週間をかけて、一日一日とクリスマスを待つ心は育てられたような気がする。

 待つとは静かな仕事だ。何もしないでいるように見えながら、深いところで心を働かせている。人の世にあって、多くの場合、待つとは、苦しみや悲しみと共に過ごすことかもしれない。災害、病気、愛する人の死。それらがやがて、時間によって別の形に変わること、傷が癒やされていくことを信じる、それも待つという仕事だ。

 見守っていて下さる大きな存在を知れば、小さな自分でも待ち続けることが出来る。そして、彼方に希望の明るい星を見つけることも、きっと。