自分が体験したわけではないのに、8月になると思い出すのは、1945年に長崎で起こった出来事と永井隆博士です。
8月9日、長崎市浦上に原爆が投下されました。
約7万4千人のいのちが奪われ、7万4千人以上が重軽傷を負いました。全焼した家は、1万1500戸以上です。
愛する家族、家、財産を奪われた人たちの悲しみや憤りは、いかばかりだったのでしょう。
その中の一人に、永井隆博士がいました。彼は1908年、島根県に生まれ長崎医大で学びました。長崎でカトリックの受洗をし、森山緑さんと結婚。いとし子たちに恵まれますが、放射線医療研究のため、致命的な白血病を宣告されていました。
重ねてあの日、原爆被爆で瀕死の重傷を負い、妻の緑さんと家・財産を失ないます。
しかし、その悲しみの中を、倒れるまで人命救助と医学の発展に尽力したのです。
病床に伏しても、永井博士は天命に全力で応えました。
「働ける限り働く。腕と指はまだ動く。書くことはできる。書くことしかできない」と、『長崎の鐘』『ロザリオの鎖』『この子を残して』など、死を目前としながら短期間に驚異的な量と高い質の著作を成し遂げたのです。
「如己堂」という小さな家が残っています。「己の如く人を愛する」という思いから名づけられ、平和と愛のために、病身の命をけずりながら執筆し続けた二畳一間しかない家です。
永井博士の思いや言葉や行いは、本になり歌になり映像になりました。それらがどれだけ多くの人びとの心をいやし、励ましてきたことでしょう。
そして今なお、如己堂は永井博士の平和への願いや愛ある生き方を伝え、訪れた人たちの心を静かに熱くゆさぶっているのです。