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夏の思い出

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

 モンテッソーリ教育の専門家であられた、今は亡き相良敦子先生の集中講義を受けたことがあります。わたしが司祭になる前の話です。

 その頃、あることが話題になっていました。子どもの手が不器用になってきたというのです。ある幼稚園児が自分で顔が洗えないのです。両手で水をすくうこともできないし、すくえたとしても、顔まで水をもっていくことができないという不器用さ。驚いた先生が「おうちで、どうやって顔を洗っているの」と聞くと、こう答えたそうです。「あのね、ママがね、タオルをぬらしてね、電子レンジに入れてね、チーンと鳴ったらね、タオルが温かくなってね、それでママがふいてくれるの」

 相良先生は話を次のようにまとめられました。「子どもは、ママわたしが『一人でできる』ように手伝ってねと叫んでいるのです。

 そして、子どもが大人に求めている手伝いとは、自分一人でできるようになることへの配慮なのです」と。

 確かに子どもの能力は、大人と比べると未発達です。でも、秘められた力を信じて、準備してあげることが、子どもの人格を高め、たくましい発達に繋がっていきます。

 ある年、高校生の夏の集いがありました。その企画、準備、当日の運営進行まですべてを、高校生自身に一任したのです。見事な出来栄えでした。何よりも、彼ら自身が生き生きとしていたこと。同年代だからこそ言い合える言葉と現場の雰囲気。周波数がぴったりと合うんでしょうね。何とも言えないハーモニーが漂っていました。いわゆる「忖度」し合えるんですね。

 「一人でできるように」配慮してあげることの尊さがよくわかった一夏の体験でした。それは、彼らを「信じきること」です。