▲をクリックすると音声で聞こえます。

親と子ども

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 「うちの子どもは、どうも出来が悪くて」という言葉を、ときどき聞くことがある。「出来が悪い」というのは、主に「学校の成績があまりよくない」という意味のようだ。謙遜を込めているのかもしれないが、そのような決めつけはどうかと思う。

 実際その子は、あまり勉強せず、乱暴な口をきいて親に反発しているのかもしれない。だが、学校の成績がよくないというだけで子どもを「出来が悪い」と決めつける親に、反発したくなる子どもの気持ちもわかる。学校の成績が悪くても、スポーツや芸術などで才能を持っているかもしれないし、リーダーシップや思いやりといった部分で秀でている可能性だってある。人間を測る尺度は、学校の成績だけではない。それを、成績が悪いというだけで、「出来が悪い」と決めつけるのは乱暴だ。

 もしかしたら、その子が勉強しなかったのは他に何かやりたいことがあったからで、一度勉強に興味が向かえば成績を伸ばせる子だったのかもしれない。だがそんな子どもでも、親から「出来が悪い」と決めつけられれば、「どうせわたしは出来が悪いんだ」と思って勉強する気力を失ってしまうだろう。「この子は出来ない」という親の決めつけが、子どもに与える悪影響は計り知れない。

 生まれながらに「出来が悪い」子どもなど一人もいない。どんな子どもでも、その子にしかないよさを持って生まれて来るというのがキリスト教の基本的な信念だし、わたしもそう固く信じている。どんな子どもにも、「この子こそ神さまの最高傑作。世界一の子ども」という気持ちで接するようにしたい。そうすれば、その子はきっと、その子にしか咲かせられない、世界でたった一つの美しい花を咲かせることだろう。