その時『わたし』は

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

 死について私が一番最初に意識したのは8歳の時であった。

 母の従妹の子どものT君が10歳で脳腫瘍のため急死した。

 T君は頭が良く、運動能力もすぐれていた。

 何をさせても一番で、御ミサの侍者もしていて、皆の模範となる少年であった。

 その上、親孝行の子どもであったので、両親の嘆きは深かった。

 子どもの私はT君の死に際し、神さまは本当にいるとじゃろかと疑いを持った。

 それで私は一人で教え方さまの所へ行った。

 「教え方さま、なして、あげん立派かT君が死なんばいかんじゃったと?どうしても、おりゃあ、わからん」と泣きながら訴えた。

 すると、教え方さまは、「美沙ちゃん、神さまはね、なんでもお見通しじゃっけんね、今が一番、T君の心のきれいか時じゃけん、天国へ連れて行ったとよ」とやさしい声で答えてくれた。

 「じゃばってん、やっぱり、わからん」と私がいうと、更にやさしい声でいった。

 「美沙ちゃん、そりゃあ、今はT君は良か子じゃばってん、大人になってからのことは人間にはわからんとよ。ひょっとしたら、大人になって悪魔の誘惑に負けるかもわからんとよ。じゃけん、今、まっすぐ天のお父さまの所へ行けるうちに連れて行かれたとよ。T君は天国におるとよ。心配せんでよかとよ」と重ねて教えてくれた。

 なるほどと子ども心にも納得した。それ以来、人が帰天した時、「ああ、この人の心が一番きれいな時に迎えに来たとね」と思うようになった。

 別れは悲しいけれど、父の時も母の時も弟の時も、ゆかりの人たちの帰天の時も、そう思って手を合わせている。

その時『わたし』は

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 波乱万丈。天変地異、栄枯盛衰、毀誉褒貶。自然界と共に人間社会は変革、変遷を重ね、急速な発展を続けています。いつ、どこで、なにが起こるか分からない、いや、今や、何が起きても、おかしくないと思われるほど変転激しく、不安、ときには恐怖を感じることさえあります。

 この変転激しい世の中、忘れてはならないのは、昔ながらの、このキャッチフレーズ「地震、雷、火事、オヤジ」であります。この4つは「恐怖の源泉、災害の根源」であります。

 初めの二つ、「地震、雷」は、自然現象であり、その発生を防ぐことは不可能です。そのあとの「火事、オヤジ」は、有難いことに、人間の注意と心がけ次第で、その災難は避けられるはずであります。

 火事には、「火の元注意」「火の用心」を、「オヤジ」、父親には、尊敬の念を失わず、常に温かい親子関係を保ち、「怒らせない」「おこらせない」ことは、もちろん、できれば、満面の笑み、喜びと満足の笑顔が保たれるように計りたいものであります。そのためには、そう簡単なことだとは思えませんが、日常生活の中で、知恵とユーモアに満ちた会話を交わすよう努めたいと思います。

 辞書によりますと、ユーモアとは「人間生活に にじみ出る、おかしみ、上品なしゃれ、人生の矛盾・滑稽などを人間共通の弱点として寛大な態度で眺め楽しむ気持ち」とあります。ぜひとも、より多くのユーモアを持って、人生を、より豊かに、楽しく生きたいものであります。


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