その時『わたし』は

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

 ふとしたことから、私は、自分のとっさの反応にハッとし、自己中心的な罪深い本性に気付く時があります。そんな時、私は、思わぬ非常事態ではどのような言動に出るだろうかと考えさせられます。

 東日本大震災の際、想定以上の大惨事に誰もが心が萎えそうになりました。被災者の方々の苦しみはいかばかりかと胸が痛みます。しかし、同時に人間の美しさ、優しさが感じられる多くの感動的な逸話も伝え聞きました。

 

 一人の自衛隊員は、電話で妻の「助けて」という悲鳴を聞き、1分1秒でも早く自分の家族の元に飛んで行きたいという思いに駆られ、「その心の苦痛から答えを探していた時、再度妻から連絡があり、『大丈夫だから、他の人を助けてあげて』。その言葉に我に返り、そこからはもう迷いがなくなりました」と、家に帰らず、救助活動に没頭できたことを語り、自分の活動を支えた家族に感謝したそうです。

 私は、「もし、その時、私がこの人の妻だったら、『他の人を助けてあげて』と言える勇気があっただろうか。あるいは、私がこの自衛隊員だったら、救助活動を続けることができただろうか」と自らに問いました。もしかしたら、私は自分の家族も顧みない夫をなじってしまうかもしれない、または自分の身の危険を感じて一目散に逃げてしまうかもしれないと思いました。

 災害自体はとても痛ましいことです。しかし、その度に自分の危険さえ臆せず、己を忘れて他者のために立ち向かう人々がいます。

 その勇気ある言動から、私は、「神」の似姿として創られた人間の本質をあらためて味わい、日々の自分のあり方や生き方を、自らに問い直さなくてはと思うのです。

その時『わたし』は

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 長女をカトリック幼稚園に入れたことが私の人生を、生きる価値観を180度変えた。

 まず夫が『洗礼を受けたい』と言い出した。神父様が「神の招きです。折角だから奥様もご一緒に」と言われた。私は『とんでもない』と思った。偏見を持っていたのだ。しかし、両親を早く失い、『心のよりどころ』を求めていた私は、この道の奥にそれがある予感がした。3か月後、夫と共に二人の幼児を連れて洗礼を受けた。

 母代わりの伯母が、毎晩お経を唱えるのを側で聴くのが好きだったのが、私の宗教的情操教育になった気がする。

 洗礼式の夜、祝いのカードを見た夫が突然言った。「僕、この人見たことある!」「ええ?」ルルドのマリア様だった。

 旧満州生まれの夫は16才で終戦を迎え、引き上げの途中、北朝鮮に連行され、死を覚悟した夜明けの空に白い衣の美しい女の人を見た。「余りに不思議で誰にも言えなかったけど、何故か大丈夫!と元気が出た」と、始めて口にしたのである。ああ!その時から夫は聖母に守られていたのか。彼と一緒に私も信仰に導かれたのか!と心が震えた。

 夫の癌告知は大ショックだった。しかし聖書の言葉に励まされて夫は研究を続け、死の一週間前に記者発表し、微笑みながら天に召された。夫が天国で神のいのちと共に生きていると信じられるのは大きな救いである。

 未亡人になって一時落ち込んだが、娘一家に誘われて渡米。私は英語と高齢者福祉の勉強に明け暮れ、娘一家が帰国の時も、一人残って勉強を続ける決心をした。これらすべて信仰が勇気を与えてくれた。

 68才で卒業して帰国。アメリカ留学の体験記を出版した。それも神の導きと友人たちの助けの賜物だと、ただ感謝である。


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