その時『わたし』は

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 今回のテーマに関連すると思いますので、拙いながらわたし自身の受洗についてお話ししたいと思います。

 わたしは、日本が戦争のさなか、東北の田舎で、教会もない町に生まれ、育ちました。家の宗旨は法華宗でしたから、朝、お題目などを唱えさせられていました。母を早く亡くし、父もわたしが小学校4年生の時に亡くなりましたので、大家族の中で育ちましたが、生きることに強い無常を感じていました。

 その頃、姉は県庁所在地にあるカトリックの専門学校に入っていたので、洗礼を受けました。休暇で実家に帰って来た姉は、弟のわたしにカトリックの話をしました。そこでわたしは直ぐに神さまがおられるのを信じ、よく祈って、良い子になれば、天国に入れるという姉の勧めで、カトリックの書物を読んで、一生懸命お祈りをしました。

 その効果は後で現れますが、その時には何もありませんでした。

 高校を卒業したわたしは、就職を兼ねるため、長野市で出版業をしている兄を頼りに、実家を後にしました。奥羽本線、北陸本線と日本海沿に列車で走っているうち、直江津で信越本線に乗り換えました。その列車が信州に近づいた時、紺碧の青空と3000メートル級のアルプスの山々が見えてきました。

 その瞬間、それまでは教会に通って信者になることはしないと決心していたわたしが、内なる神の声に促されてか、教会に行って、洗礼を受けようと明確に決心したのです。そして長野市にある兄の家に着き、旅装を解くや、教会を探し、1年間通って、クリスマスに洗礼を受けました。

 それからはお祈りをした結果、お恵みを体験しなかったことは1度もありませんでした。だから、いつも感謝しています。

その時『わたし』は

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

 ある朝、通勤で電車に乗っていたら、隣に立っていた人が少しもたれてきました。揺れたせいかしら、私の手がじゃまなのかしら、と思った瞬間、その人の頭が音もなく私の手の下にがくりと落ちていきました。

「あっ、倒れた」

 回りの人は気付かないのか、誰も反応していません。でも、直感が私に行動せよと伝えていました。そこで、「大丈夫ですか、どうしましたか」と少し大きな声で話しかけました。

 すると、私の声を聞いた近くの人たちが弾かれたように駆け寄ってきて、隣の人を起こしはじめました。倒れたという私の理解は正しかったのです。

 結局、私は人が倒れたことを周囲に伝える役割を果たしただけでしたが、その瞬間に声を出せたことは良かったと思っています。後でこの話を聞いてくれた駅員さんは、それが一番大事なのだと感謝してくれました。

 命にかかわる「そのとき」は、待ったなしです。白杖歩行の私は、駅のホームで線路に落ちる寸前で後ろからストップしてもらって命拾いをしたことが何度もあります。

 一方で、路上を徐行運転してきた自動車の音が分からず、ぶつかって軽傷を負ったこともあります。このときには、ぶつかったとたんに10人ほどの人が「あっ」と叫びました。私は、恥ずかしいのと悔しいのとで気持ちが高ぶったとともに、ぶつかるまで見ていないで、あと3秒早くストップと言ってくれれば、けがをせずに済んだのにと思いました。10人も見ていて、誰一人適切なときに声を出せないとは、どうにも情けないではないかと。

 直感は、神様の合図だとよく思います。理屈なしに問答無用で行動すべきときがあるのです。そのときしかない「そのとき」を、逃さないようにしたいものです。


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