「忙中閑あり」と言いますが、忙しい一日の仕事の合間にふと時間が空くことがあります。
5分、10分というわずかなコマ切れ時間です。でも、たかが5分とバカにはできません。それが、一日6回あれば、一日で30分。一か月でなんと15時間にもなります。15時間あれば、本が何冊も読めるでしょう。わずか5分でも、まさに塵も積もれば山となるのです。
しかし、この短い時間を活用するのは案外難しいものです。もともと予定されていた時間ではないので、ついうっかりボンヤリと過ごしてしまうことがあるからです。
ですから、あらかじめ何をするか考えておくと良いのではないでしょうか。さらに、紙に書いて「5分間時間活用リスト」を作っておくと便利です。
例えば、「軽い運動をする」「身の回りの整理整頓をする」「メールに返事をする」「新聞を読む」「音楽を聴く」など5分間でできることは結構あるものです。
私は、コマ切れ時間があれば、まずは「祈る」と決めています。
幸い近くに静かでお祈りできる場所がありますので、足を運び、短い祈りの時間を過ごすことがあります。また、椅子に腰を掛けたまま少し姿勢を正して、祈りのカードや聖母の絵に目を向けることもあります。
目的は、神様を思い出し、心を神様に向かわせることです。
「神様、今日これまでの仕事を捧げます。あなたのために、家族、友人のために、もっとよく仕事ができるようにお助けください」
心を神様に向けていると、気持ちがリラックスしてきます。そして、仕事や家族、友人のためにふっと何か良いアイディアが浮かんでくることがあります。
短いけれど、仕事の合間の祈りは貴重な時間となっています。
かつて非常勤講師としてある女子高校の教壇に立ったことがあります。今でも強烈に覚えている生徒のことを思い出します。
授業中は足を組んで横を向き、頬杖をついて仏頂面。わたしが彼女を無視して授業を進めると、やたらと小刻みに姿勢を変えます。それでも、無視し続けると、業を煮やしたのか、ある日やってきてこう言いました。「わたしは先生の話聞いていないんだけど」と。「分かっていましたよ」と答えると、寂しそうな顔をするんです。
わたしにとっては転がり込んできたいい機会だったので、彼女とじっくり話すことにしました。要するに、彼女はたくさんの教師からいつも無視され続けてきたんですね。教師の注目を引こうとして、やたら体を動かしていたというわけです。彼女は「さびしがり屋さん」だったのです。なのに、他の人たちは、どうしようもない怠け者、邪魔者扱いしていたんですね。そうしたことに対する彼女なりの反発もあって、授業中の態度になっていたんです。
そこでわたしは言いました。「今日の放課後、卓球しようか」と。彼女は卓球部だったのです。わたしも以前は卓球大好き人間でしたので、どこまで現役高校生に通用するか、いい機会でもありました。
何よりも、わたしが彼女と同じ体験ができたことが、彼女を変えましたね。また、いい笑顔をしているんですよ。「その顔その顔」と言って、自分の持ち味を分かってほしかったのです。それからの授業中では、以前のことはなくなりました。
人にはみな、「時」があります。あの時「卓球しようか」と言わなかったら、わたしは後悔していたかもしれません。
神の計らいを感じた出会いでした。