その時『わたし』は

新井 紀子

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 子供の頃、私は親の都合で何度も転居を繰り返しました。東京、横浜そして関西、また横浜と移動してきたため、小学校だけでも4校の学校に通いました。

 中学校入学後、高校、大学と横浜で学生時代を過ごしました。社会人となり結婚をすると、なんと今度は夫の転勤で関西に暮らすことになったのです。知り合いのいない関西で住む家を探していたところ、夫の上司から親類の人が転勤で家を空けるのでそこに住まないかと、庭付きの3LDKの一軒家を貸してくれました。ところが1年後、その親類が戻ってくることになり、急きょ、上司の親が住んでいる2LDKの2階に間借りすることになりました。風呂がなかったため、半年後に2Kのアパートの3階に引っ越しました。

 そのアパートで最初の子供が生まれました。やんちゃな子供で、2歳になると3階の窓から飛び降りそうになるのです。怪我をする前に引っ越そうと、近くの不動産屋さんに相談しました。

 不動産屋さんは、若い私たちに一銭の儲けにもならない、県が募集している不動産を薦めてくれました。私たちはそれに応募し、神戸の山の上に3LDKの家をみつけることができたのです。その家で娘が2人生まれました。ところが5年後、急に夫が東京へ転勤になり、家族5人で東京へ引っ越しました。そしてその1年後、私の両親と暮らすために横浜へと転居したのです。

 転居の多い人生でしたが、私は嫌な思い出がありません。いつも新しい場所での暮らしはどんな出会いがあるのだろうとワクワクして楽しんできました。その証拠に、夫の上司とは今でも親類付き合いです。神戸の友達とは今も連絡を取り合っています。横浜にもたくさん友達がいます。

 転居は友人を作るチャンスだったのです。

その時『わたし』は

森田 直樹 神父

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 「その時」は、今から40年近く前のことになります。当時私は高校生でした。カトリックの学校に通ってはいましたが、特に興味を持つことなく、また、キリスト教の洗礼も受けていませんでした。

 そんな頃、私の先生として、ある神父様との出会いがありました。気取ることなく、ありのままの姿を私たちに見せられる、とても人間味あふれる神父様でした。

 「一度、神父様の本業を見に、教会を訪ねてもいいですか」と聞いたことがありました。神父様は「どうぞ、いいですよ。」と答えてくださいました。

 ところが、この願いはかなうことがありませんでした。神父様はガンを患い、半年の後に、神さまのみもとに召されてしまいました。高校生の私にとって、とてもショックな出来事でした。

 私の心に触れた神父様でしたから、お通夜に出かけて行きました。参列者皆でお祈りしている時、後ろから、おばさま方のヒソヒソ声が聞こえてきました。「この神父様が亡くなって、京都の教会も神父様が少なくなるわね」と話していたのです。

 この時が、私にとっての「その時」となりました。お祈り中におしゃべりするなんて、とも思いましたが、心の中で、自問自答している自分がいました。「神父様が少ないのか」「僕でもなれるのだろうか」と。

 今まで考えつきもしませんでしたが、ヒソヒソ声を聞いた途端、私の中に「神父になる」という思いが浮かび上がったのです。神さまによって、私の人生が大きく変えられた瞬間でもありました。

 私にとって「その時」は、突然やってきました。でも幸いなことに、素直に受け入れることができました。これまた、神様の「はからい」だったのだと思います。今年、神父になって27年を迎えます。


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