その時『わたし』は

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

 「あなたは自分を神さまにしています」

 あるご縁をいただいて、霊的指導を受けていた司祭の一言。それがどんな会話の流れの中であったかもう覚えておりません。

 けれどこの一言は、まっすぐわたしの心臓に届きました。敬愛する老司祭は、淡々と責めるふうでも憤るでもなくそう言われたのです。

 わたしが自分を神にしている?!

 あまりにもショックでしたので、頭は真っ白になり返す言葉もありませんでした。

 たぶん何か人間関係のことで神父様にご相談したのではないかと思います。

 だいたい自分を神にする、ということで思い浮かべるのは、アダムとイヴ。

 

 聖書に次のように書かれています。(創世記3・4~5)

 ~蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」~

 この禁じられた木の実を食べれば神のようになれるぞと言う蛇の誘惑に負けた創世記の物語です。

 小さい頃からこの創世記の物語に馴染んでいたので、かえってひとごとのよう、自分には関係ないわと読み過ごしていたのかもしれません。いえ、ほんとにそうでした。

 それがこの神父様の一言で、我が内なる断崖から真っ逆さまに落下する、という体験をしたのでした。

 自分の思い通りの自分を作りあげ、そのものさしで人を裁いたり、上から目線でものを言っていたのです。あとからあとから涙が溢れました。こんな厳しいことを言ってくださるのは長年のつきあいの親友でも家族でもなく、私の魂のありかを神さまの思いのうちにいるのか、キリストに本当に出会っているのか、洞察し識別してくださる方をおいてはありません。

 この神父様には鍛えられました。 感謝です!

その時『わたし』は

松浦 信行 神父

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 私は7年前から神戸のバイブルハウスというキリスト教諸教派の集まりに参加しています。

 日本聖書協会の方に言わせると、「キリスト教諸教派が集まり、バイブルの名のもとにいろいろな活動を行っている常設の組織は珍しい」のだそうです。聖書セミナーや諸教派の聖書の読み方や習慣の発表、バザーやクリスマスの昼食の集い、国内や国外への巡礼など、盛沢山の行事をこなします。

 そんな中、このバイブルハウスの運営資金調達のために、ディナーコンサートを開くことが提案されました。女性2人が教会のホールで弾き語りをするというのです。

 私は音楽が好きですからもちろん賛成しましたが、問題はどのように参加者を集めるかです。いろいろな人に声をかけ、何とか5人の参加者を確保しました。コンサートの参加者が集まることだけを意識していたのです。

 そして食事会が始まり、頃合いを見計らってコンサートが始まりました。それがとても楽しいのです。演奏者の見も知らない人の普通の話なのに、聖書のイエスが語っているかのように心に感動を覚えるのです。

 食事会で心も満たされたのでしょう。帰りがけに、一人の主婦の方が、「こんなに楽しい行事が、いつも教会にあったらいいなあ」と、語ってくれました。

 宗教改革のころ、フィリッポ・ネリという人がいました。この人は、それまでのまじめで厳粛な祈りに若者を招こうと、祈りや聖書の朗読に音楽を加え、それがオラトリオの始まりとなりました。また巡礼を楽しいものと思えるようにして、当時の若者を魅了したのです。

 食べる、音楽を聴くという人間性の中にイエスの言葉が響いた時、喜びとなって心が満たされるのだという事を再確認した時でもありました。


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