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ひたすら前に

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 新しい年になると、今年はどんな年にしようかと、元旦のミサに与りながら祈る。み旨に従って、どんなに困難があってもひたすら前に進もうと決心する。

 新年、私はよく母のアルバムを見ることがある。そこには祖父母、二人の娘の姿が写っている。祖母は、二人の娘におそろいの洋服を縫って着せていた。ある写真は、おそろいのケープに二輪のバラを襟元にあしらった洋服を着ていた。バラも手縫い、洋服も手縫いだった。祖母はよく洋画を見て、素敵な洋服を見るとさっと記憶して、二人の娘に着せようとしたようだ。

 祖母は、12歳で母親と死に別れたので、自分が失った母親との時間を埋め尽くすように、家庭にいつもいて、ひたすら働いた。最初は娘たちが12歳になるまでは生きたい、できるなら、娘たちが成人するまで生きたいと、願っていた。

 娘二人が結婚し、孫ができると着物やおもちゃを作って喜ばせ、一段落した頃、祖母は崩れ落ちるように心臓発作で寝たきりになり、医者に行く以外はほとんど外に出ることもなく、20年近く病床で過ごした。

 不思議だったのは、祖母が寝たきりになっても、時々、思いがけない人が訪ねてきたことだ。遠い親戚に、おじいさんと男の子が二人で暮らしていた。おじいさんが亡くなった時、祖母はすぐに出かけていって、葬儀を出し、天外孤独になった男の子にお小遣いを握らせて別れたという。それ以上、祖母は何もできなかったそうだが、男の子の幸せを願いながら別れた。

 その人が立派な家庭をもって奥さんと一緒に訪ねてきたのだ。祖母はすっかり忘れていた人が訪ねてきて驚いていた。祖母が家庭ばかりに目を向けずに、悲しむ人にも寄り添って生きたことを、私は心から嬉しく思っている。