たえず一歩前に

越前 喜六 神父

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 新年にあたり、「たえず一歩前に」というテーマを頂きました。

 昔から「一年の計は元旦にあり」と言われています。自分に関する将来の計画というのは大切です。なぜなら、人は自分の立てた計画にしたがって、生活していくからです。

 今回の「たえず一歩前に」というテーマは、何を意味するのかしばし悩みました。他者を押しのけて前に出ようとすることでもないでしょうし、むろん出しゃばることでもないでしょう。絶えず前進していこうとする覚悟だと解釈すれば、良いのかもしれません。

 人生の目的は、人が心理的にも、精神的にも、スピリチュアルな面でも、絶えず成長していくことだと、かつて某大学の人間学という授業で教えたことがありますが、その成長の法則というのは、らせん状を描いて上昇するのではないでしょうか。

 昔、大学で習った「正反合」という弁証法の法則といっても良いかもしれません。努力とは、一歩踏み出すことと、それを交互に継続していくことです。

 山登りの経験が、それによく似ています。わたしの経験からも、富士山の頂上を目指すならば、足元を一歩一歩進めるしかないのです。

 英語でステップ・バイ・ステップという言葉どおりです。前進するためには、まず前進するぞ、という意志がなければなりません。次に足を進めていくことです。これを努力といってもいいでしょう。前進していくと、必ずいろいろな障害に直面します。それに負けず、希望と忍耐をもって、一歩踏み出してゆくとき、輝かしい目的地が開けてきます。

 好きな禅の言葉があります。「百尺竿頭に一歩を進む」で、絶えず一歩前にの意味です。

日々新た

小川 靖忠 神父

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 この世に生を受け、多くの方に支えられて大きくなってきました。成長して自己判断ができるようになると、それまで世話してくれた親、兄弟、姉妹、それに、周りの人々を無視しないまでも、忘れたかのような態度をとってしまうことがあります。

 一方で、新しい年を迎えますと、自ずと気が引き締まる自分を感じます。かつては、クリスマスに買ってもらった洋服等、元日にあわせて身につけ、一年の始まりのミサに参加していたものでした。

 やはり、ワクワク感がありました。新しいものは何でも「まず神さまに見せてからよ」という母親の教えは、未だに、どこかに残っています。「未だに」というよりも「日々新たに」という感じですね。

 時を重ねていきますと、自分自身の中に、衰えるものもあれば、栄えるものもあります。だからこそ、その日その日の新たな心意気が大事になってきます。

 一年の始まりに、何が新たになったでしょうか。「新しいものは何でも神さまから」の思いを大事にするなら、「新しいことも神さまから」となります。この思い自体が新しいことになりそうです。

 新しい計画、新しい運動、新しい業務、新しい仲間、全部その中身を、神さまに打ち明けてから、新しい1歩を前に押し出しましょう。その新しいことが重要であればあるだけ、聖体の前に額ずきたいですね。イエスさまがおん父の前にそうであったように。

 大きくなった今もなお、誰かに、何かにお世話になっています。小さい頃とは違った内容であり、出来事です。お世話してくれる人も変わりました。そういう自分も変わりました。その「変わりは」日々新たです。

 昔ご無礼した人々にお詫びし、新たな日々を重ねて生きましょう。


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