共にある

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

 ここ10年来お世話になっている歩行訓練士のSさんに、ふたたび助けをいただくことになりました。歩行訓練士とは、白杖で歩く私たちに、熟練度に応じて杖の使い方から高度なスキルのいる道路の歩行までを指導し、自由に移動できるよう訓練する職業です。Sさんには職場の移転や自宅の引越しですっかりお世話になり、ワークショップにもお呼びした「仲」です。

 今回また職場が移転することになり、電車の乗り換えや駅からオフィスまでの道などで彼女の訓練を受けました。道を言葉で説明した後、私が地図や、杖で分かる目印をおぼえるまで、何度でも往復に付き合ってくださいます。ぎりぎりまで静かに見ていて、道を間違えたり、知らずに危険な方向にいこうとしてしまったときだけ、「そこは」と小さな声でストップをかけてから正しい道を教えます。

 うまく移動できると「ばっちりですね。もう一回やってみましょうか」と完全に確信が持てるまで付き合ってくれます。心配な場所でも的確な工夫を提案し、ほとんどの場合「歩けるぞ」という希望を持たせてくださるのです。この「希望」を持たせられることは、さすがプロだといつも感服します。

 訓練を終えて一人家路についたとき、私は突然、思ったのです。「イエス様も、Sさんみたいに私と歩いておられるのかも」

 無理に引っ張らず、頭ごなしに正論を叩きつけず、黙って一緒に歩きながら、たまーに「あのさあ」とヒントをくれる。

 歩行訓練は特殊な例ですが、みなさんにもこのように、黙って一緒にいてくれる人がいるのではないでしょうか。その人との歩みを思い出したら、「主はともにある」とよく言われる言葉の手ごたえが、少しでもはっきり伝わってくるのかも。そんなふうに思ったりするのでした。

共にある

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

 教皇フランシスコはバチカンで、欧州フードバンク連盟の関係者やボランティアたちに述べられました。「浪費がさらけ出すのは、物事や物をもたない人への無関心です。食べ物を捨てるのは人間を捨てることを意味します」と。食料の浪費を非難し、フードバンクの活動を次のように語ってたたえています。「皆さんは浪費の悪循環に投げ入れられるものを救い出し、物を無駄にしない『良い循環』に導き入れています」と。

 わたしたちの周りを見渡しますと、確かに、食料の浪費ではないかと思わせるような光景が目に入ります。人間の都合によって、いとも簡単に消費され、廃棄処分になっているさまは、そうする人の独り善がりと言われても、仕方ないのかなと思ってしまいます。

 わたしたちの身近なところで、悲惨な事件事故が多発しています。その度に意識され、叫ばれることに「寄り添う」という言葉があり、その姿があります。事件事故は悲惨なだけに、人々の関心を引き寄せます。それに比べ、「食料廃棄」は、日常的な出来事の一つみたいにパスされてしまいそうです。日々、酸素のありがたみは意識しないのに、欠乏するとにわかに慌ててしまうように、食糧難になると、不平不満が出てきます。

 わたしたちは、意識している、していないに関係なく、現実的には、互いに寄り添って、助け合って生きています。農家の方がいて、野菜類のお世話になります。漁師の方がいておいしい新鮮な魚をいただけます。

 物理的に「共にある」こともあれば、心理的に「共にある」ことだってあり得ます。人として、お互いの「絆」は消えることがないということでしょう。だから、何処までも共にあり続けるのです。人間を捨てないために。


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