クリスマスのメッセージ

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 ビーズ刺繍の聖母子のイコンを見た。一針一針、刺繍されたイコンは、聖母子の生涯が大いなる喜びであると同時に、容易ならざる旅であることを暗示させる。

 本来なら、赤ん坊のイエスは、飼い葉桶に寝かされている。しかし、このイエスは、祭壇上にいて、ミサで使う杯の中に両足から腰まですっぽりと入っている。そして小さな手を広げて、私たちを祝福している。その背後には憂いを帯びた聖母が佇み、幼子への愛おしさとともに、これから歩む旅路は神さまが与えてくださったものと雄々しく受け止め、両手を上げて賛美しているのだ。

 このビーズ刺繍のイコンの持ち主は、フォトジャーナリストの大石芳野さんだ。チェルノブイリの原発事故に遭遇した人びとを機会あるごとに訪ねている。

 大石さんはある家庭を訪ねた。チェルノブイリの原発労働者だった夫を失い、その妻と娘がキエフに避難した。数年後、娘さんに、甲状腺の異常が見つかり手術をし、その後、結婚をした。二人の間に男の子が生まれ、何とか幸せになったと思った矢先に、ご主人を不意の事故で失った。

 帰りがけに、その娘さんから、「ときどき、母に手伝ってもらって作ったの」という聖母子のビーズ刺繍のイコンを大石芳野さんは贈られ、このイコンはキエフからおよそ8220キロメートルも離れた日本まで飛んできたのである。

 この聖母子のイコンに秘められた、クリスマスのメッセージとは何か? 一人ひとりの誕生に、死がまるで同伴者のようにいることを意識している人は、無駄な思い煩いはない。永遠のふるさとに向かって、飛んでいくという希望の翼がある。イエスの誕生を祝うクリスマス、すでに「キリストのミサ」は始まっているのだ。

クリスマスのメッセージ

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 イエス・キリストが馬小屋で誕生すると、それを聞きつけた羊飼いたちが挨拶にやって来たと聖書は伝えている。もしイエスが生まれたのが壁で囲まれた大きな宿屋や宮殿だったとしたら、当時もっとも卑しい階層とされていた羊飼いたちは、その門の前まで来て引き返したことだろう。イエスが馬小屋で生まれたことには確かに意味があった。馬小屋で生まれたからこそ、イエスは貧しい人々に神の愛を伝えることができたのだ。

 わたしたちはつい、人から高く評価してもらおうと思って自分の周りに権威や名誉などの壁を張り巡らそうとするが、その壁は同時に、自分と周りの人たちを切り離す壁でもある。自分の財産や地位学歴などを誇れば誇るほど、「この人は、わたしとは違う世界の人だ」と思って距離をおく人たちが増えてゆくのだ。そんな人間の心をよく知っておられる神は、イエスをあえてまったく無防備な、貧しい馬小屋に誕生させた。そのこと自体が、人類に対する一つの福音、喜びの知らせだと言っていいだろう。わたしたちのもとにやって来られた神は、羊飼いたちでも簡単に近づける神、どんな人でも気後れせずに近づける神なのだ。

 赤ん坊であるイエスには、権威も、名誉も、財産もなかった。イエスの周りには、人々を遠ざける壁が何一つなかったと言っていい。そのことは、イエスがすべての人のために遣わされた神であることを証している。たとえ社会の片隅に追いやられ、財産を失い、人から馬鹿にされたとしても、暖かく受け入れてくださる神。それが、イエス・キリストなのだ。わたしたちは、自分の周りに壁を作りすぎていないだろうか。すべての壁を取り除き、すべての人に開かれた自分でありたいと思う。


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