クリスマスのメッセージ

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 昭和の風景の一つ、それは、クリスマスになると歳末商戦が盛んになり、賑やかにジングルベルのメロディーが流れ、宴会後クリスマスケーキの箱を抱えた人々が盛り場にあふれていました。そんな頃からどの位時が流れたでしょう。

 続くバブルの時代はカップルが豪華なディナータイムを過ごし、プレゼントを交換するのがクリスマスだと世間は思っていました。

 神の御子の降誕祭だと多くの人が知り、家庭で家族とともに喜び祝う日になったのは、近年、度々大きな災害に襲われ、被災者を支援するボランティアの気運が高まり、それとともに、キリスト教の愛の精神が少しずつ人々の心に広まっていったからではないかと思います。

 隣人を愛すること、「一粒の麦」のたとえのような自己犠牲、思いがけない他者との縁に、何となく神を感じるという人が多くなりました。

 サンタクロースがプレゼントを置いたと信じている子供はほとんどいなくなりましたが、良い行いをしていないと希望するプレゼントがもらえないことを、今の子供たちは自覚しています。

 高齢者施設では、クリスマスがしっかりと歳時記に組み込まれ、飾りつけは勿論、聖歌隊の訪問演奏を積極的に受け入れています。

 また、ミッション系の幼稚園・小学校に通った人が、子供時代のクリスマスの聖劇、3人の博士がイエスさまにプレゼントするシーンをしみじみ思い出し、そこにクリスマスプレゼントの意味を重ねて、歳末助け合い募金に協力しているという話をよく耳にします。

 人類に平和をもたらし、互いに許しあい愛し合うことを身をもって示してくださるために、神が人の子となって降誕されたという、クリスマスのメッセージの浸透を祈ります。

クリスマスのメッセージ

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

 クリスマスに関する幼少の頃の思い出は、両親からプレゼントのおもちゃなどを買って貰ったり、ケーキを家族で食べたりした事です。何のお祝いなのか分からないまま、その日を祝いましたが、それでも今考えれば、ただ楽しい思い出と美しい思い出だけが残っています。

 成長するに従い、友人たちとクリスマスを共に祝うようになり、プレゼント交換をしたりしました。けれども、依然として洗礼の恵みを頂くまでは、このお祝いが何のお祝いなのか善く分からぬまま、お祝いをしておりました。パーティを開く為の良い機会として捉えていたのかもしれません。

 受洗後、お祝いの仕方が少し変わりました。クリスマスのシーズンに、小児病棟や少女苑を、パネルシアターを持って巡ったりしたのです。喜びの便りを、外に向かって広める必要があると思ったのです。

 ところで、クリスマスは、英語の表記をそのまま翻訳すれば「キリストのミサ」です。キリストのミサは、毎日、全世界で行われています。分かち合う事の大切さ、奉仕し合う事の大切さを、弟子たちを通して人類に伝えようとされたイエス様は、この世の生活の最後に、御自分の体、つまりご自分の命を分かち合いの対象とされ、パンと葡萄酒の形で弟子たちにお与えになりました。私達が、私達の所有している物、つまり富や時間や能力を他の人々と分かち合っていくように、模範を示して下さいました。クリスマスは、そのイエス様の誕生を祝います。

 現代は、世界の各地で排外主義が蔓延し、自分の国や自分の民族の事しか考えない人々が増えています。このような時代であるからこそ私は、イエス様が命がけで遺して下さったクリスマスの精神を大切にしたいと思います。


前の2件 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13