クリスマスのメッセージ

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 クリスマスは、キリストの誕生を喜び祝う日。この地上にお生まれになった幼な子イエスこそが、天の父からの素晴らしい贈り物なのだと、私たちキリスト者は知っている。

 クリスマスの本来の意味はだいぶよく知られるようになって来たが、やはりまだ、小さな子どもにとっては、クリスマスはサンタクロースがプレゼントをくれる日であるらしい。サンタクロースの存在を信じている子どもも可愛いが、子どもの夢を壊すまいと、苦心している大人たちを見ると心温まる。その愛情のおかげで、子どもは無垢で幸福な時代を過ごせるのだ。しかしなぜ、サンタクロースに限って、彼らはそれほど一生懸命になるのだろう。

 それはおそらく、サンタクロースがよきクリスマスの精神を体現しているからではないだろうか。その起源が、暖炉に金貨を投げ入れ、貧しい人々を援助した聖ニコラウスである通り、サンタクロースは見返りを求めず、贈り物をしてくれる愛情深い人である。また、子どもたちを一年の間見守っていて、何が欲しいか知っていてくれる人である。よい子であることもわかっていてくれて、欲しいものをご褒美に贈ってくれる。姿は見えない。日常の外から、特別の日にやって来て、また遠い所に帰って行く不思議な存在なのだ。

 人々は心のどこかで、クリスマスとは、思いやりと愛を表す特別な時間だと感じている。そしてそれは、本当に人に必要なものなのだ。私たちにそれを伝えるために、毎年、赤い服を着た白髭の老人は遣わされて来るのかもしれない。地上に沢山の贈り物を賜る方の眼差しを感じながら、今年も私たちはクリスマスの幸福を味わう。

クリスマスのメッセージ

小川 靖忠 神父

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 慣れ親しんできた場所を離れ、初めての土地に行きますと、毎年巡ってくる季節的な催しものの内容に違いを感じることがあります。しかし、一つだけ、場所にとらわれない祭典があります。少なくとも日本国内で。

 それは、クリスマスです。少しずつその過ごし方に変化は生じているようですが、国内的には大きな差異はないのではないかと思います。子どもにとってはケーキを食べられる日、若い男女にとってはデートして晩餐会を楽しむ日、他の人にとってはいかがなものでしょうか。

 共通して言えることは、楽で、賑やかで、優雅さが感じられる過ごし方といえないでしょうか。

 カトリック教会では、家族そろってミサに参加します。そして、世界平和を祈り願います。

 以前、教会でのキリスト降誕ミサは、夜中の11時30分からでした。子どもたちもたくさん参加していましたが、その多くは寝こんでしまいます。わたしも、祭壇で侍者をしながら眠ってしまっていたことを覚えています。

 しかし、今思うのです。仮に、眠ってしまったとしても、その子にとっては無駄なことではなかったと思うんです。親と一緒にクリスマスの深夜ミサに行った、兄弟姉妹で一緒に歌った、大きくなって、たとえ、嫌な苦い経験であったかもしれないけど、長い人生の中ではいいことにつながっていきます。これが「生きている」ことの意味ではないんでしょうか。

 現代におけるイエスさまからのメッセージを、家族そろって聞き、その内容が、先ず家族内で、友人間で実践できれば、これまたクリスマスの一つの過ごし方です。家族が一堂に揃うことです。イエスさまのささやきは、静けさの中でわたしたちに届きます。


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