クリスマスのメッセージ

服部 剛

今日の心の糧イメージ

 今からおよそ2000年前、イエス・キリストという方が遠い異国の貧しい馬小屋で産声をあげました。

 このことは私達にとって、どのような意味があるのでしょうか?日本で生きていると、一見、関係のない出来事のように感じるかもしれません。

 しかし、「私たちにとってキリスト教とは何か」と頭で考えるよりも、私は次のことを想像するのです。もし、聖夜に一人、目を閉じて暗闇の中から幼子の清らかな声が耳の奥に響くならば、そこにひとすじの光が射しーーそして、心の底から"信じる"とき、その人の心の中で密かに新たな道は始まります。信仰の旅路の第一歩を踏み出すならば、今迄の素朴な日々の風景が、今日一日が、一カ月が、一年が、意味を帯びた時間になってくるでしょう。それはきっと生活する為の次元のみでなく、「人生というものの次元」に気づき始め、〈信仰の目〉が開かれるからだと思います。

 最近、あるシスターとこんな会話をしました。

 「神様は目に見えないけれど、一体どこにいるのでしょう」

 「私は聖書のなかでパウロが語っている〈内在の神〉を思います。日曜日のミサで〈キリストの体〉である御聖体をいただくでしょう?それは復活したキリストの霊を身に纏うことであると同時に、私の心のなかに主イエスがおられることを信じることなのです。そして、私は神父様からいただく御聖体に心を込めてアーメンと言い、口に含みます」

 私達は日々を〈目に見える世界〉で生きていますが、そのような物質社会のなかで、もがくように幸せを探すのではなく、クリスマスの夜は、天からのメッセージである幼子の誕生にそっと耳を澄まして、穏やかな幸せに包まれて迎えたいと願っています。

クリスマスのメッセージ

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

 2000年も前に、ユダヤのベツレヘムの貧しい厩でお生まれになった赤ちゃんが、神さまから遣わされた救い主、イエス・キリストであるということを知る人も、知らない人も、わくわくしながら毎年迎えるクリスマス。

 あちこちで「クリスマス会」や「クリスマスパーティー」が開かれて忙しい12月ですけれど、ある少年たちの更生施設でのクリスマス会に参加したことが忘れられません。

 最初に神父さまからイエス様誕生の物語を話していただき、わたし達ボランティアは、「きよしこのよる」や「ジングルベル」などを一緒に歌い、少年達と手をつないでフォークダンスやゲームなどで盛り上がりました。少年達も大きな声で歌ってくれました。

 数日後、少年達から「クリスマス会感想文集」が届きました。みな、とても楽しかったありがとうと喜んでくれたようです。その中に、「クリスマスがキリストの誕生日だというのをはじめて知りました」とか、「今までクリスマスというと、彼女とデートする日としか思わなかったけれど、これから(ここを出たら)教会に行ってみようと思います」とあって、その素直さに感激しました。

 イエス様は神の御子でありながら、わたし達ひとりひとりを限りなく愛してくださるかた。十字架の死と甦りを以てわたし達の罪をすべて100パーセントゆるしてくださるかた。このメッセージを、この子達だからこそ、まっすぐに受けとめられたのでしょう。

 さて、現代にイエス様がお生まれになるとしたら、どこに?

 絹の布団の豪華なベッドの上でなく、貧しい避難所のような所かもしれません。エジプトへの逃避行をされたのですから、まさに難民家族ですね。

 さあ、わたし達も歩み始めましょう。お生まれになった赤ちゃんのイエス様を探しに。


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