聖家族がこの地球上で暮らしたのは2000年も前のことなのに、現在、私たちが考えさせられ、学ばせられることが沢山ある。
まず、イエズスさまの誕生のシーン。
旅の途中での馬小屋での出産。
現在、世界中に散在する難民の人たちと重なって思われる。
テレビで難民の人たちの姿を見る度、かつての聖家族の姿と重なり、涙を禁じ得ない。
馬小屋で誕生されたイエズスさまを抱かれた時、マリアさまもヨゼフさまも、これからの生活を考え、不安が頭をよぎったかもしれない。
大工の収入ではたして立派に成長させることができるだろうかと・・・。
しかし、おふたりは、イエズスさまは神の子、まさか飢えさせることは天の父はなさらないであろうと、その一瞬めばえた不安を打ち消したと想像される。
現在、貧困にあえぐ世界の片隅に生きる人々もまた、不安になったり、打ち消したりの心動く日々を送っているだろうと思う。
何よりも私が聖家族について黙想するのは、ヨゼフさまを介護するシーンである。
マリアさまとイエズスさまで、年老いて病床にあるヨゼフさまを心やさしく介護している姿である。
イエズスさまは神の子だから、ヨゼフさまの病を一瞬に取り去ることは出来たが、あえてそれをしないで、生身の人間として生老病死を見守られた。
また、マリアさまは我子が先に十字架上で無惨に死んでいく姿をごらんになられた。
人間としての限界を超えたご苦労をされた。
誕生から天にめされるまでの聖家族の姿を黙想することを、これから、私のクリスマスの迎え方としたい。