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わたしが抱く平和

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 平和を願わない人はひとりもいないでしょう。しかしながら、現実の社会や世界は、争いや事件やテロなどが絶えません。

 なぜでしょうか。

 短絡的な言い方はできませんが、多くの人々が考える平和は、政府や団体や社会機関などが外部からもたらしてくれるものだと思っています。これだと世界がいくら経済的には豊かになったとしても決して平和は実現しないでしょう。なぜなら、平和だけではありませんが、人生のすべての出来事は、人々の意識が原因で生じているものだからです。

 多くの人々が、内心、不安や憎しみや恨みや反感を抱いていながら、いくら言葉で平和を叫んでも平和は訪れません。かえって、不和や争いの世の中になっていくでしょう。言葉で平和を唱えたり、平和を念じたりするときには、まず自分自身の心が、何ともいえない平安な気持に浸っていなければなりません。

 新約聖書の福音書に記されているように、イエス・キリストは山上の説教で、人々にこう言われました。「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と。(マタイ5・9)平和は与えられるものではなく、創造し、実現していくものなのです。言葉を換えれば、まず自分自身の心の中に平安を実現しなければなりません。

 わたしは修道会に入会し、最初の修練をしているとき、それを体験しました。無一物の中で、言うにいわれぬ平安を体験する時、周りの人々の間に平和を保つようにと努力するでしょう。なぜなら、自分が平安を味わっていれば、当然、他の人々をも平和にしようと努めるからです。

 言葉を換えれば、神に愛されていることが分かれば、自然に他者を愛し、平和をもたらす人になっていくからです。