
ところで今、人手不足が深刻さを増している現場が、介護現場であるといわれています。したがって、高齢者や外国人が活躍する姿が目立っているそうです。介護現場の「担い手」が今や、元気な高齢者に委ねられているという現実を、どのように考えればいいのでしょうか。
ある方が退職後、犬の散歩や図書館通いをしながら、生きがいを見出せない日々を送っていらっしゃいました。ある日、廃品回収車が自宅近くを通りますと、今は亡き奥様がつぶやいたそうです。 「不用になった亭主も引き取ってもらえないかしら」と。
ご主人は焦ったようです。奥様は冗談でおっしゃったのでしょうが、ご主人はそれで発奮なさったんですね。介護福祉士の資格も取って、デイサービスセンターで働いておられるそうです。
介護の資格もさることながら、人生の経験もこの仕事に大いに役に立っていて、多くの方に喜ばれているとのこと。例えば、懐メロを歌ったり、昔の同じような経験の話に花が咲いたりと、世代間の違いを感じさせない交わりが力になっています。
たえず1歩前に進むには、どんな言葉、体験でも力になります。そしてそれが、今、自分のこの命を、もっと効果的に生かす力につながっています。他者が喜ぶ姿を見て、喜び楽しみつつ、さらなる1歩を前に進めましょう。

すると私が所属する教会の神父様が「なんだ、あげたの。うちにもらおうと思ったのに」と仰って、「特別にうちの教会のために描いてほしい絵がある」と、当地のキリシタンが江戸殉教で天に召された歴史を話され、顕彰のミサの計画をあかされました。始め躊躇しましたが、モデルになるからと家族に背中を押され引き受けました。
私はこの時思わず1歩前にでたのです。
以来37年間、今日まで神様が望んでいらっしゃると信じて、たえず1歩前への心意気で、各地から送られてくる資料を読み、現地を取材し、展示する建物がある場合は飾る場所も下見をして、キリシタンの歴史画を描き続けています。
出来ませんと断ることは自分への裏切り、困難を抱えながらも絵筆を握って努力してきた日々の恵みと支援者への感謝から前へ進みます。画集「神の絵筆」の名付け親も件の神父様でした。
2008年、ペトロ岐部と187殉教者が列福された日、私は既に100人以上描いていた事を確認し感慨無量でした。次にたえず1歩前へと選んだのが長崎、平戸、島原、五島を描く事でした。昨年それらの地域が世界遺産に登録され一件落着、188福者の10周年も嬉しい事でした。