たえず1歩前に

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 神さまという方を想像すると、悪いことをした者に罰を与える方というイメージが強いでしょう。でも、聖書によると、神さまは、人類の罪を償うため、代わりに十字架にかかってくださった方です。例えてみれば、未成年の我が子が犯した犯罪を、全財産を投げ打って親が弁償して亡くなったということに近いのです。

 このような神さまは「わたしがあなた方を愛したように互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・12)という言葉を残しました。

 この夏、私はフードバンクの素晴らしい働きを知りました。フードバンクは、賞味期限が近い食品を倉庫など一カ所に集め、今すぐに食品を必要としている人たちに配るシステムです。大切な食べ物の廃棄も食い止めます。日本でも7人に1人の子供が食事に事欠いているので、フードバンクは「子供食堂」にも配布しています。

 子供食堂は全国に2200ヶ所ほどありますが、地域の大人が子供たちに安い価格で食事を提供する場です。皆で配膳を手伝ったりしながら、楽しく夕食をとれる温かい時をもてますし、思いやりも育ちます。フードバンクも子供食堂もボランティアの力に頼っていて、私財を投げ打ち、毎月寄付を募って運営しているようです。

 賛同する教会などでは、バッグに入る一握りのお米や、家にある缶詰などを2ヶ月に1度くらいの割合で集めています。1人分はわずかでも、教会全体で集めると何十人分もの美味しい食事ができるのです。

 身近なことでちょっと心を使うことが「愛し合いなさい」という神の言葉の実現になります。行き場のない飢えた人たちが路上で横たわるようなことのないように、たえず1歩前に進んで実行するのは賢いやり方だと思います。

たえず1歩前に

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 のんびり屋の私からみると、毎日仕事に出かけなければならないお父さんたちやお姉さんたちには、ご苦労様ですと思わず頭が下がる思いがします。特にあの副都心のとても評判の悪い乗換駅を使わなくてはならない人々とは、全国共闘会議でも結成するか!と言いたくなる気さえします。

 私が、久しぶりにこの駅を通ったのは、音楽のリハーサルを行った後、飲み会がこちら方面であったからでした。飲み会も楽しいですが、私が残された日々の中で本当に一歩を踏み出したいのは、やはり神の国に向ってです。私の心から愛する主のもとへ行きたいのです。それを想って私の心は絶え入るばかり・・と詩編も歌っています。(参:84・1~3)

 では、そのために、これから私は、そこまで遠い遠い旅をしなければならないのでしょうか。

 あるいは、厳しい修行に明け暮れ、やっと、どうにか神様に認めて頂ければ御国に入れてもらえるのでしょうか。

 この2つの考えは、人間の誠意として尤もではありますが、やはり間違いでしょう。というのも、神の聖性は例え私が宇宙の果てまで捜し歩いたとしても、その内側にも外側にもあるはずはないからです。次元が違うからです。

 ところが、そんなに隔絶的に違う聖なる神の国が、実はもう向こうの方から私達の間にやってきている、と主イエスが仰います。イエス様によると、遠く旅する代わりに、貧しい心、子供の心をもって神に信頼すること、悔い改めて他人を兄弟のように愛する事が求められています。確かに、貧しかったり、子供だったりすれば、豊かな人に期待する、または親に全面的に期待する以外に、生きる道はありません。神様はこの態度を、まさにご自分の子供である私にも要求されるわけです。


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