呼びかけや求められたこと、期待されたことに応えられるという前向きな言葉なのです。
キリスト教的にいえば、「神の呼びかけに応えられること」です。
私たちは生活の中のいろいろな場面で、社会からあるいはまわりの人から呼びかけられ、求められ、期待されています。助けを求めている人に出会うこともあります。
そういう呼びかけを敏感に感じ取って、それに速やかに応えられることというのが英語のresponsibility の本来の意味です。
それを誰が訳したのか「責任」としました。
「責任」というと、自分のなしたことの結果の後始末をできること、あるいは失敗した時の責めを負うという意味になってしまいます。
「失敗したときの責任をどう取るのだ」というのは、何か新しいことをしようとするときに、それをやめさせようとする定型文句です。
本来 responsibility というのはもっと前向きで、積極的な言葉であるのに対して、「責任」というのは明らかに後ろ向きで消極的な言葉です。
なんでこうなってしまったのでしょうか? 日本の社会のある一面をえぐり出している言葉かもしれません。