おそらく、幼い子どもたちは、自分が親や先生たちから愛されていることに、何の疑問も抱いていないのだろう。「自分は愛されている。愛されるために、他の子と競い合う必要などまったくない」と確信しているからこそ、何のこだわりもなく、他の子のよい所を喜べるのだ。そのような子どもたちは、他の子が泣いているときには、「どうしたの」と優しく声をかけられる子どもたちでもある。心を満たした愛が、苦しんでいる友だちに向かって自然に流れ出してゆくようだ。
残念ながら、そのような子どもたちでも、年中、年長と成長してゆく中で、友だちと競争し始めることがある。兄弟姉妹が生まれたり、他の子と比較されたりする中で、しだいに自分が愛されていることに確信が持てなくなり、愛されるためには人と競わなければならないと思い始めるようだ。
イエスが言う「子どものようになる」とは、幼い子どものように、自分が神様から愛されていると何の疑いもなく信じることだろう。他の子には他の子のよさがあり、自分には自分のよさがある。みんな神様から愛されたかけがえのない存在なのだから、競い合う必要などまったくないと確信できる心を、幼い子どもたちに学びたい。