大人になった私たちは、次第に「子どもの心」を忘れ、正直な本音の気持ちを自分のうちに抑えて、自他共に求められるような社会生活を送っているところがあると思います。どこかで、「本音は吐露してはいけない」という縛りや緊張の中で生きているとも言えます。
しかし、誰にでも、どこかに「子ども」のような本来の自分らしさがあります。高齢になると、「子どもに帰る」と言われるのは、もはや周りに、社会生活に適合しようというコントロールが効かなくなるからでしょう。
イエスは、どんな時も、御父に対して、本来の「子どもの心」でいることができたのではないでしょうか。と言っても、イエスが子どもっぽい人だったというわけではありません。自分の正直な心をよく見つめ、それを御父に差し出し、心を開くことができたのです。
聖書には、祈るイエスの姿が描かれていますが、それは、イエスにとって、「あるがまま」の自分自身でいられる御父との出会いの時だったのです。私たちも、イエスのように、「アッバ」である御父に「子どもの祈り」を捧げたいものです。