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子どもの祈り

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 近所の幼稚園の子供達の会話を聴くと、昔読んだ小説「天使と悪魔」を思い出します。その会話は残酷だったり、天使の祈りのような言葉だったり。子供の言葉は迫力があります。

 さて1945年、アメリカとの戦争が終わり父の郷里でもある越後の山深い村に疎開しました。その村には静御前のお墓があり、その隣のお地蔵様に子供の私は何故か祈りに行きました。

 そのお地蔵様への私の祈りと近所の幼稚園児の会話に共通したものがあります。それは非常に本能的な祈りなのです。喜怒哀楽という感情をもろにぶつけた言葉を使っているのです。

 最近、私の読書に変化が出ています。購入する本は子供向けの本ばかり。その理由は、子供向けの本は実に単純で大きな喜びを私に与えてくれるからです。

 人間には本能があり、その一つに、デジデリウムとも言われている概念があります。その意味は、「ホモサピエンスには、深層心理の中に神を知りたい欲がある」という学説です。

 近所の幼稚園児の会話と、私の幼少時代の祈りの内容は、友達を呪ったり、天使のような優しい祈りもしています。

 私たち家族は、戦犯の家族ということで、その村の人は母に野菜を売ってくれませんので、母は隣村まで野菜を買いに行ったそうです。当時の私の祈りは「神様、どうか美味しいものを沢山食べさせて下さい」でした。その祈りが私の子供時代の祈りでした。あの時の熱烈な祈りを想うと、今の私の祈りは、なんとも迫力がありません。子供の祈りのような正直さがなく、小さな知識と人生体験が神様に近づくことを邪魔しているようです。

 子供向けの本を貪るように読む私、多分、神様が私に何かを悟らせようとされているようです。