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『今日の』祈り

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

 朝の祈り、食前・食後の祈り、お告げの祈り、夕の祈り等、1日のうちで時間が決められ、とても大事にされていたのが神学校での日課でした。100人余りの中高生が共同生活をしながら、それぞれの個人的な目標も成しとげていったものです。

 小神学校入学が、病気のために1か月遅れたわたしにとって、当時の最大の苦しみの一つは、「英語」の授業でした。極度の辛さが続きますと、すべてが嫌になってきます。解らないということは、教科もさることながら、授業そのものがまったく面白く、楽しくなくなるのです。

 この時には祈りました。願いました。「解らせてください」と。学習を諦めることにではなく、「祈る」ことに逃げたのです。そうしますと、勉強法にも工夫を凝らすことができるようになったのです。

 「急がば回れ」といいます。何か物事をするとき、時間や手間がかかっても、安全で確実な方法をとったほうが、結局は早いというたとえですが、この時、まさにそうだなという体験をし、実感しました。

 「祈り」は、なんとなく祈るというのではなく、その時の生活の一瞬一瞬に合った内容が、その人の心の叫びとして神のもとにたどりつくのではないでしょうか。だから、祈りは抽象的であってはいけないのです。あくまでも具体的で、詳細であることが望ましいと、この時の体験を踏まえて思ったものです。

 そのような祈りを一言でいうならば、「射祷」です。わたしたち一人ひとりが違っているように、祈りの中身も異なります。「わたしだけ」の祈りが、しかも「今日の」祈りがあるのではないでしょうか。神はその違いを今日、しっかりと受け止めてくださいます。