この時には祈りました。願いました。「解らせてください」と。学習を諦めることにではなく、「祈る」ことに逃げたのです。そうしますと、勉強法にも工夫を凝らすことができるようになったのです。
「急がば回れ」といいます。何か物事をするとき、時間や手間がかかっても、安全で確実な方法をとったほうが、結局は早いというたとえですが、この時、まさにそうだなという体験をし、実感しました。
「祈り」は、なんとなく祈るというのではなく、その時の生活の一瞬一瞬に合った内容が、その人の心の叫びとして神のもとにたどりつくのではないでしょうか。だから、祈りは抽象的であってはいけないのです。あくまでも具体的で、詳細であることが望ましいと、この時の体験を踏まえて思ったものです。
そのような祈りを一言でいうならば、「射祷」です。わたしたち一人ひとりが違っているように、祈りの中身も異なります。「わたしだけ」の祈りが、しかも「今日の」祈りがあるのではないでしょうか。神はその違いを今日、しっかりと受け止めてくださいます。