2018年12月12日の心の糧

わたしのクリスマス

古川 利雅 神父

今日の心の糧イメージ 12月に入ると街はクリスマス一色。辺りにはどんな光景が広がっているでしょうか。そしてみなさんは、これまでどの様にクリスマスを過ごされたでしょうか?

 私のクリスマスの懐かしい思い出。学校で一足早くクリスマスのお祝いがあり、その日風邪で学校を休んでいたら、担任の先生がプレゼントを家まで持って来て下さったこと。24日のクリスマスイブ、家の中にクリスマスの飾りをし、サンタさんからプレゼントを貰える様に靴下を吊るし、今年は何が貰えるかなと思って、心待ちにして床についたこと。クリスマス当日は、父の誕生日。みんなでお祝いするため、父が仕事から帰って来るのをひたすら待ったこと。

 社会人時代は、会社挙げてのクリスマス会に出たり、またクリスチャンになってからは、深夜のミサに出て、みんなで教会に泊まったり、真夜中にイタリア人の神父様と一緒に、信徒の方の家に行って一緒にお祝いをしたりなど、色々なことがありました。

 最近は、クリスマス・イブの夜はミサを捧げて、救い主の誕生をご一緒にお祝いした後、もう1つ担当している教会に行ってパーティーに参加。当日にもミサをしてお祝いして、修道院でお祝いする...この様なクリスマスでしょうか。

 人それぞれのクリスマスですが、クリスマスは、イエス・キリストの誕生の祝いです。目に見えない神様が目に見える人となり、私たちのところに来て下さった。これは本当に不思議なことですね。

 今年のクリスマス、大切な方と過ごすクリスマス、1人静かに祝うクリスマス、それぞれが、イエスの誕生に想いを向けては如何でしょう。思い出に残るクリスマスになるかも知れませんね。

 神様からの豊かな恵みと祝福が、みなさまの上にあります様に...。

2018年12月11日の心の糧

わたしのクリスマス

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ  イエズスさまがこの世にお生まれになったのは、人々に、清貧、忍耐、謙遜の3つの徳を教えるためであるとは、幼少の頃より耳にたこが出来るくらい聞かされて成長した。

 大人になり、聖書を読み始めると、もっと様々なことを、わかりやすいたとえ話にして教えてくださっているのがわかった。

 いつしか私も高齢者の仲間入りをし、聖書をくり返し、くり返し読むと、また、聖書の核のようなものが心にしみ渡る様になった。

 それはマタイ福音書の25章にある。

 イエズスさまがこの世にお生まれになられた原点がここにあると思うのである。

 「わたしが飢えていた時に食べさせ、渇いていた時に飲ませ、旅をしている時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢屋にいた時には訪ねてきてくれた・・・」(25・35~37)

 この世で出会った人に対し、どの人もイエズスさまと思って、分かち合いの精神で真心をこめて接した人たちのうちに天国はあると、イエズスさまははっきりとおっしゃっておられるのである。

 何もむずかしいことではない。

 自分のできる範囲で分かち合いを実行したらいいのである。

 イギリスに留学していた人から話を聞く機会があったが、イギリス人は日頃は個人主義のような暮らしをしているのに、毎年12月のクリスマス月になると、とたんに気持ちがやさしくおおらかになり、日頃倹約して貯めていたお金を惜しげもなく寄付する人が多いという。

 私も12月には、使ったつもりで使わずに貯めた『つもり貯金』を方々へ寄附する。

 1年間、つもり貯金をすると、自分でも驚くほどの額になる。それをすべて寄附するのが、私のクリスマスの迎え方である。


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