2018年12月10日の心の糧

わたしのクリスマス

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ  「私は主にお仕えするものです。お言葉通りにこの身に起こりますように」

 受胎告知の場面で、マリア役の私は精一杯はっきりと上級生が演ずる天使ガブリエルに向かって答えました。小学校時代のクリスマスの懐かしい思い出です。

 1年生から6年生までそれぞれに、語り手から、ヨセフ様とマリア様、3人の博士、ガブリエルと天使たち、羊飼いと羊たち、また宿屋の主人とおかみさん、そして、馬と牛の役など、総勢30名のキャストが10月の終わりに発表されました。その後毎週2回、放課後は講堂での練習の日々でした。

 昭和28年、実験放送中の日本テレビが、本番をTV中継したので、出演者にとっては今も語り草です。

 「天では神に栄光、地上では御心にかなう人々に平和あれ」今でも当時の仲間は合言葉のようにこの天使のセリフをクリスマスカードに書いて交換します。

 今、人生を振り返り、私は自分のセリフが身に付いてきたことに気づきます。

 「あなたのお役に立ちたいのです。」「この身に起こる事を感謝します。私自身は気付かなくてもあなたが向くと思われるなら何事も挑戦しますから」毎日の祈りの中でこんなつぶやきもお捧げしてきました。

 若い頃はただ絵を描き、素晴らしい作品が持つ様々なジャンルへの広がりを教えることが務めでしたが、不思議なことに私自身がその広がりを実践する人になったのです。とても描けないと思った殉教者たちが今身近な存在で、彼らについて講演し、劇作もします。

 きっかけは神様が用意して下さる思いがけない人との出会いなのです。

 「私は主にお仕えするものです。お言葉通りにこの身に起こりますように」。明日は何が起きるでしょうか?

2018年12月08日の心の糧

わたしのクリスマス

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ  わたしにとっての最初のクリスマスの体験は、小学校2年生の時でした。その時であったかどうか記憶は定かではありませんが、嫌な不愉快なクリスマスだったことを覚えています。

 あの頃は、教会でのキリスト降誕ミサが夜中の11時30分からでした。子どもたちもたくさん参加していましたが、その多くは寝てしまい、わたしも、祭壇で侍者をしながら眠ってしまっていたなということを覚えています。そのような時はいつも、母親はハラハラドキドキしていたそうです。あとで、高校生の頃でしたか、聞かせてくれました。

 仮に、眠ってしまったとしても、その子にとっては無駄なことではなかったと思うんです。親と一緒にクリスマスの深夜ミサに行った、兄弟姉妹で一緒に歌った、踊ったなど、大きくなって、たとえ、嫌な苦い経験であったかもしれないけど、長い人生の中では、いいことにつながっていきます。これが「生きている」ことの意味ではないでしょうか。だから、親子連れでミサに参加し、共に祈ることは、親子の財産であると思います。「祈る」ことを親の仕草、姿を通して子どもたちは会得していきます。これこそ、立派な「信仰教育」ではないのかなと常々思っています。

 「干渉する」という言葉はそれ自体いい響きを感じませんが、「関心がある」からこそ干渉したくなってくるのでしょう。大人の干渉によって、子どもが不愉快になってしまうことはよくある話ですが、それでも、あとで思えばプラスに働いています。

 わたしのあの時のクリスマスは、まさにこれでした。人前で注目されることが嫌だった私が、みなの前で剣舞をするように命令されたのです。おいしいはずのケーキ等も味を覚えていません。それが今、力になっているのです。

 神のみぞご存知です。


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