わたしのクリスマス

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

 わたしにとっての最初のクリスマスの体験は、小学校2年生の時でした。その時であったかどうか記憶は定かではありませんが、嫌な不愉快なクリスマスだったことを覚えています。

 あの頃は、教会でのキリスト降誕ミサが夜中の11時30分からでした。子どもたちもたくさん参加していましたが、その多くは寝てしまい、わたしも、祭壇で侍者をしながら眠ってしまっていたなということを覚えています。そのような時はいつも、母親はハラハラドキドキしていたそうです。あとで、高校生の頃でしたか、聞かせてくれました。

 仮に、眠ってしまったとしても、その子にとっては無駄なことではなかったと思うんです。親と一緒にクリスマスの深夜ミサに行った、兄弟姉妹で一緒に歌った、踊ったなど、大きくなって、たとえ、嫌な苦い経験であったかもしれないけど、長い人生の中では、いいことにつながっていきます。これが「生きている」ことの意味ではないでしょうか。だから、親子連れでミサに参加し、共に祈ることは、親子の財産であると思います。「祈る」ことを親の仕草、姿を通して子どもたちは会得していきます。これこそ、立派な「信仰教育」ではないのかなと常々思っています。

 「干渉する」という言葉はそれ自体いい響きを感じませんが、「関心がある」からこそ干渉したくなってくるのでしょう。大人の干渉によって、子どもが不愉快になってしまうことはよくある話ですが、それでも、あとで思えばプラスに働いています。

 わたしのあの時のクリスマスは、まさにこれでした。人前で注目されることが嫌だった私が、みなの前で剣舞をするように命令されたのです。おいしいはずのケーキ等も味を覚えていません。それが今、力になっているのです。

 神のみぞご存知です。

わたしのクリスマス

三宮 麻由子

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 2016年のクリスマス、私は「心のともしび」も放送されているニッポン放送の24時間番組「チャリティー・ミュージックソン」に出演しました。そして、視覚障害者への「声かけマニュアル」を監修し、ミュージックソンのホームページに掲載していただいたのです。

 近年、視覚障害者が駅のホームから転落して命を落とす事故が相次ぎました。これを受け、駅係員や乗客に「積極的な声かけ」を呼びかける動きが広がりました。事故への悲しみのなかで、社会全体が交通弱者の命に、より真剣に目を向け始めてくれたことは嬉しく思いました。同時に、その機運が長続きしてほしいと強く願い、ラジオでもその気持を伝えました。

 あれから、駅や道で声をかけ、手を貸してくださる方が増えました。「ここは1人で歩くほうが安全」というときに「ノー・サンキュー」を言っても「せっかく声をかけてあげたのに」と叱られることが少なくなり、自然に受け止めていただけるようになりました。

 いままでは「特別なお願い」だった駅での誘導や見守りも「普通のお願い」に変わりました。駅員さんたちがこれまで以上に自然に気持よく助けてくださるようになったのです。おかげで、電車が止まって慣れない駅で降りることになったときや、ラッシュアワーにちょっとだけ見守りをお願いしたいときも、安心して「お願いします」と言えるようになりました。

 やっとここまできた、というのが正直な感想です。

 ささやかな働きでしたが、クリスマスの、声かけマニュアル作りは、神様からの素敵なミッションでした。以来、私は大学の講義などでこの問題に積極的に触れるようになりました。

 こうして、2016年のクリスマスは、私にとって大きな1歩となったのです。


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