わたしのクリスマス

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

世界にはいろんなお祭りがあり、その祝い方も様々ですが、クリスマスは格別のような気がします。「神の子イエス・キリストの聖なる誕生日」、そのことをも知らない人たちも、クリスマスが近づくと優しい気持ちになってプレゼントを交換したり、パーティーをしたり、子どもたちもサンタクロースのプレゼントを指折り数えて待っています.今やクリスマスは国や人種、宗教を超えて世界中の人々に祝われ、愉しまれています。クリスマスが放つ愛の光に心暖められ、癒されて共鳴し、何とも言えないクリスマス気分が醸し出されてゆくのでしょう。

 さて、私も様々なクリスマスを迎えてきましたが、一家で洗礼を受けて初めて迎えたクリスマス・イヴのことは50年以上経った今も畏敬の念と共に鮮烈です。

 

 冬には珍しい雨の夜で、3人目の子を宿していた私は家に残り、夫だけ教会に行きました。2人の幼児を寝かせてこたつでうとうとしていると、誰かが家の軒先に寝ています。私はその人が雨に濡れないように必死で新聞紙を掛けていました。

 突然、立ち上がったその人の白く輝く衣に私は電気に打たれてひれ伏しました。『イエス様!』 

 丁度その時、夫が帰ってきました.私は夢を見ていたのです。夫は始めて与った教会のクリスマスのミサに興奮気味で、神父様が「今夜、私たち1人ひとりの家にイエス様がお生まれになった!」と言われたと話してくれました。私はハッ!として、先ほど見た夢を話しました。そして「こんなに未熟で貧しい私たちの家にもイエス様は本当に来て下さったのだ!」と感謝の涙でした。

 今年もクリスマスがやってきます。1人ひとりの心に愛と喜び、平和と希望の源であるイエス・キリストが力強く生まれて下さいますように!

わたしのクリスマス

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

私が司祭になってすぐの仕事は、養護施設のシスター達の霊的な指導者となることでした。

 ある時シスターから、「クリスマスイブに子供達自由参加の深夜ミサの司式、お願いできますか?」と依頼がありました。私は、受諾し、養護施設の子供達のために、ほかの仕事を午後や夕方に回し、万難を排して子供にも分かりやすいようにミサ準備をするようにしました。

 さてミサの時間となりました。大きな子供達が後ろの方に座って待っていました。そして、幼稚園の子供や小学校の低学年の子供達が前の方にいました。子供達の目は皆、らんらんとしています。それは、1年に1度、誰からもしかられず、夜中に起きていられるからです。そうです。子供達にとってクリスマスは特別な日なのです。

 ところが、しばらく経つと、退屈し始めたのか、疲れたのか、小さな子供達が、睡魔に襲われ始め、船をこぎ始めました。眠くなった目をしっかりとまばたきで押さえようとする子供もいます。上を向いて口を開いて眠っている子供もいます。小さな子供には、深夜起きているのは無理だったようです。

 それで、次の日のクリスマスのお祝い会の時、昨日眠っていた子供達に聞きました。「昨日眠くて大変だったね。」ところが子供達は「ううん、眠いのつらかったけど楽しかったよ。」と、皆楽しそうに眠気と戦う様子を披露してくれたのです。

 クリスマス、1年の中で自由に礼拝式に出席し、眠っていたとしても、その特別さが感じられる時を、一緒に過ごすことができた素晴らしい体験。そして、この特別さを教えてくれた子供達への感謝が、今でも私の心に深く刻まれています。


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