2018年12月21日の心の糧

わたしのクリスマス

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ  私が中学生くらいの頃、私の家のすぐ近くに、窓もないような、暗くて本当に小さな小屋に住んでいる貧しい家族がいました。その家にも、私たちと同じような子供達がいて、その家族は、まるで映画に出てくる人たちのようでした。自分の家も大変ではありましたが、その人たちの様子は、そんなこととは比べものにならないものでした。学校の行き帰りに、必ずその家の前を通っていましたので、その家の奥さんや子供達とも顔なじみでした。今思うと、アルコール依存症だったのかなと思うような荒んだ感じのご主人を見ることもありました。その人は、お金持ちのお坊ちゃんだったということでした。そして、奥さんと子供達は、いつもおどおどしているようでした。

 クリスマスになると、私たちは、何か小さなクリスマスプレゼントをもらったり、それがなくても、たった1本の赤いろうそくを真ん中にして、母と一緒に、知っている限りのクリスマスの歌を歌って、父の帰りを待っていたりしました。そんな時、あの家の子供たちは、どうしているのだろう、あの奥さんはどうしているのだろうと気が気でありませんでした。

 それから約20年経って、結婚して東京の代々木に住んでいる時、アパートの隣にはカトリック教会があって、昔なので、門番の小屋がありました。そこには、ベトナムから逃げてきたボートピープルと言われる人たちの家族が住んでいました。大変な経験をしてきたに違いない家族でしたが、その奥さんの笑顔が忘れられません。話をしたことはありませんでしたがお互いに友達だと思っていました。

 クリスマスになると、あの人たちはどんなクリスマスを過ごしているだろうかと思うのです。

2018年12月20日の心の糧

わたしのクリスマス

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ 世界にはいろんなお祭りがあり、その祝い方も様々ですが、クリスマスは格別のような気がします。「神の子イエス・キリストの聖なる誕生日」、そのことをも知らない人たちも、クリスマスが近づくと優しい気持ちになってプレゼントを交換したり、パーティーをしたり、子どもたちもサンタクロースのプレゼントを指折り数えて待っています.今やクリスマスは国や人種、宗教を超えて世界中の人々に祝われ、愉しまれています。クリスマスが放つ愛の光に心暖められ、癒されて共鳴し、何とも言えないクリスマス気分が醸し出されてゆくのでしょう。

 さて、私も様々なクリスマスを迎えてきましたが、一家で洗礼を受けて初めて迎えたクリスマス・イヴのことは50年以上経った今も畏敬の念と共に鮮烈です。

 

 冬には珍しい雨の夜で、3人目の子を宿していた私は家に残り、夫だけ教会に行きました。2人の幼児を寝かせてこたつでうとうとしていると、誰かが家の軒先に寝ています。私はその人が雨に濡れないように必死で新聞紙を掛けていました。

 突然、立ち上がったその人の白く輝く衣に私は電気に打たれてひれ伏しました。『イエス様!』 

 丁度その時、夫が帰ってきました.私は夢を見ていたのです。夫は始めて与った教会のクリスマスのミサに興奮気味で、神父様が「今夜、私たち1人ひとりの家にイエス様がお生まれになった!」と言われたと話してくれました。私はハッ!として、先ほど見た夢を話しました。そして「こんなに未熟で貧しい私たちの家にもイエス様は本当に来て下さったのだ!」と感謝の涙でした。

 今年もクリスマスがやってきます。1人ひとりの心に愛と喜び、平和と希望の源であるイエス・キリストが力強く生まれて下さいますように!


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