わたしのクリスマス

阿南 孝也

今日の心の糧イメージ

 私の勤める学校は、ヴィアトール修道会というカトリックの教育修道会によって創立され、今日まで導かれてきました。

 修道会の創立者であるケルブ神父は、「子供たちを私のところに来させなさい」というキリストのみ言葉を会のモットーに選びました。イエスに触れていただきたくて乳飲み子を連れてきた人々を叱る弟子たちに対して、「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」と言われた場面です。(マルコ10・14)

 校舎正面にラテン語で刻まれたこのみ言葉を眺めながら、救い主のご降誕に当たり、神のみ心のままに幼子を受け入れた聖ヨセフの働きに思いを馳せていました。「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」、これはマタイによる福音書の冒頭部分です。そして42代に及ぶ長い系図が続き、最後に「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」と記されています。(マタイ1・16)

 「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を生む。その子をイエスと名付けなさい」(参:マタイ1・20~21)と告げる天使の言葉と婚約者マリアを信頼したヨセフは、天使の命じた通りに妻マリアを迎え入れました。ヨセフとイエスには血の繋がりはありませんでした。しかし、ヨセフが子として受け入れたことによって、イエスはダビデの子とされ、ダビデの子孫から救い主が誕生するという、神の救いのご計画が実現されたのです。

 クリスマスに当たり祈ります。天使から告げられた神のご意思に従ったヨセフの勇気と信仰に倣い、私たちが神のみ旨実現の道具として生きていくことができますように、アーメン。

わたしのクリスマス

新井 紀子

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 私が子供の頃、昭和30年代のことです。少しずつ景気が回復して来たせいか、12月になると商店街にジングルベルが流れ、師走の忙しさの中にも心踊ったものです。クリスマスイブになると、食卓にご馳走が並びました。父が頼んでくれたケーキが届くと、私たち子供の喜びは最高潮に達します。翌朝のプレゼントも楽しみなものでした。

 結婚し子供が生まれると、クリスマスの喜びが、頂く喜びから与える喜びに変わりました。ツリーを飾りつけ、七面鳥の丸焼きを作り、ケーキも焼きました。子供たちが喜んでくれるプレゼントは何がいいか、夫婦で考えて用意するのも親として嬉しいものでした。

 現在、子供たちは成人し、それぞれに家庭を持っています。私たちは、夫婦2人きりでクリスマスを祝うようになりました。最近は函館郊外大沼で雪のクリスマスです。大沼暮らし最初のクリスマスイブのことでした。夏から体調を崩して入院していた画家のKさんが突然亡くなりました。私たちの大沼暮らしを全面的にサポートしてくれていた方でした。翌日彼から自筆のクリスマスカードが届きました。それを見て涙が止まりませんでした。さらに数年後のクリスマスイブ、義理の姉が自宅で倒れ亡くなりました。兄から夜遅く電話で知らされた私たちは、すぐに弔問に行くこともできず冥福を祈り続けました。

 若い頃は、形あるものをプレゼントしたり、頂いたりして、嬉しかったものです。年を取って様々な別れを体験しました。今しみじみ思うのは、プレゼントしたいものは形のあるものではないということです。それは健康以外何物でもありません。

 「どうかあの方が元気でありますように」

 私たちがクリスマスに祈るのはこのことです。


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