2018年12月24日の心の糧

わたしのクリスマス

中井 俊已

今日の心の糧イメージ  1945年長崎のクリスマス。もちろん私は生まれていませんでしたが、浦上天主堂のアンジェラスの鐘を聞くと、思い出す話があります。

 当時、浦上は8月9日に落とされた原爆で、見渡す限り焼け野原になっていました。生き残った人々はバラック小屋を建て、肩を寄せ合って暮らしていました。

 その年のクリスマスイブの日、倒壊した天主堂の瓦礫の下から、永井隆博士らの提案で鐘が掘り出されます。2つあった鐘のうち、奇跡的に1つは無事だったのです。

 夜11時半、満天の星空の下、クリスマスミサの前に鐘は鳴り渡りました。戦争中から歳月を経て、久しぶりに天主堂の鐘の音を耳にした人々の喜びは、いかばかりだったでしょう。

 原爆で家族や家、財産を失い、生きる力をなくしていたある人は「辛くても生きていきなさい、という励ましの声に聞こえた」と証言しています。

 鐘を掘り出した1人、山田市太郎さんも、軍隊に服役中、妻と5人の子供たち、家、財産の一切を奪われた人です。

 「もう生きる楽しみはなか」と苦悩しますが、生き残った者の使命を永井博士から説かれ、浦上再建のために、祈りながら働くことを決意していました。

 あのイブの日に、万感の思いを込めて鐘を鳴らしたのは、この市太郎さんです。

 それ以来、再建された天主堂の鐘つきとして、朝、昼、晩、43年間毎日、鐘を鳴らし続けました。戦争で受けた悲しみを祈りに昇華させた市太郎さんが鳴らす鐘の音は、平和と復興を願う人々の心に響き続けたのです。

 戦後70年以上を経て、あの日のクリスマスを体験した人はほとんどいなくなりました。けれども、多くの人々の祈りをこめて、アンジェラスの鐘はいまも鳴り響いています。

2018年12月22日の心の糧

わたしのクリスマス

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ クリスマスの情景の中に、救い主を探して、遠く東の国からやってきた3人の博士が登場する。どこから来たかは書かれていないが、輝く星に導かれ、ラクダの背に揺られながら砂漠を越えてきたのだろう。その3人の博士たちの姿に心を惹かれる。わたしもかつて、遠くに輝く光に導かれて旅をし、その光の下に救い主を見つけたことがあるからだ。

 わたしが見つけた光、それはマザー・テレサだった。インドの貧しい人々に奉仕する彼女の姿をテレビで見たとき、その姿は光り輝いて見えた。彼女の心に燃え上がった愛の炎は、遠く日本にまでその光を届かせていたのだ。少年だったわたしは、その光に強く惹かれた。

 大学を卒業した後、わたしはその光に導かれてインドに旅立った。マザーに会えば、きっと自分が探し求めているもの、人生の意味や目的が見つかるのではないかと思ったからだ。リュックをかついで押し掛けたわたしを、マザーは輝くような笑顔で出迎えてくれた。

 マザーのもとで働く中で、彼女の輝きの源は、イエス・キリストと呼ばれる1人の人物であることに気づかされた。マザーは、出会うすべての人の中にイエスを見ていた。貧しい人でも、金持ちでも、すべての人の心に神が宿っていると固く信じていたのだ。祈りと奉仕を通してイエスを愛する喜び、イエスから愛される喜び。それがマザーの輝きの秘密だった。マザーという輝く星に導かれて、わたしはイエスのもとに導かれたのだ。

 人々をイエスのもとに導くことができる唯一の光、それは誰かのために自分を燃やすときに生まれる、愛の光だけだ。神父となったいま、「お前はマザーのように輝いているか」と、わたしは自分に日々問いかけている。


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