例えば、日々の人間関係の中で、私たちは相手に腹を立てたり、傷ついたりすることがあります。その場合、どのように自分の気持に対峙し、相手と関わりを続けることができるでしょうか。とっさに相手に感情をぶちまけることもできますが、おそらく相手を傷つけ、自分にも後味の悪さが残り、賢い選択肢とは言えないでしょう。しかし、怒りや傷ついた自分の気持を「心に納め」、「思いめぐらす」ことで、自分の状態を客観的に捉え、考える余裕が与えられ、より良い選択ができるのではないでしょうか。その結果、相手には何も言わないという選択もできますし、相手に真実を告げて、より深い関係を築くチャンスにすることもできます。
私たちは、過去の経験から多くを学んで慎重になり、ほとんど意識せずに安易な道を選んでいるようにも感じますが、日々、真剣により良い方を選んで生きることができるなら、自分の人生も、周りの世界ももっと変えられるのではないでしょうか。
つまり、分岐点で迷う時、迷いという心の状況に振り回されるのではなく、マリアのように「心に納め」、神の霊の働きを信じて「思い巡らす」ことによって、より良い道に進むことができるのだと思います。
私自身、進学や結婚には選択肢がありましたが、自己責任で決意したので、今振り返ると大した分岐点ではありませんでした。私が人生の分岐点であったと合点する出来事は3回あるのですが、不思議にも必ず神の御手を確信する体験でした。
神様のご計画としか思えないような偶然の出会いや、突然呼び出されての旅行、何気なく手に取った本のメッセージに何度共に居て下さる神様を感じたことでしょうか。分岐点の一つが「鎌倉のキリシタン」の殉教の歴史画の完成です。
ある深夜のアトリエでの体験を、神父様にお話ししたところ、10年後、画集の出版に際し「神の絵筆」と題名をつけてくださいました。心のともしびの原稿執筆者に加えて頂いた事も分岐点でしたので、古稀の記念画集は「絵筆が灯す光」と命名しました。