分岐点

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

人類の中で、神さまからはっきりとした分岐点を示された方は、マリアさまではないかと私は思う。

ヨゼフさまと結婚し、おだやかであたたかい家庭を築こうとしていたマリアさまに、天使があらわれ、神様のお子様を胎内に宿し、産み育てて欲しいと告げられた。

凡人なら驚愕し、とんでもないお告げだと、即、辞退するところであるが、マリアさまは即座に「仰せのごとく我になれかし」と答えられた。(ルカ1・38)神さまからのお告げだとすぐに悟ったからである。人間からのお願いなら断ることもできたのだろうが、神さまからのお願いだから、右へ行こうか左へ行こうかと分岐点に悩むことなく神さまの指し示した方向へ歩まれることになったのである。

次にマザー・テレサを思い浮かべる。

マザー・テレサも列車の中で神さまのお声をお聞きし、貧しい人のために一生を捧げようと決心した。

私の知るシスターは、少女の頃、カトリックの幼友だちについて行って、地元の教会へ初めて入った。シスターの生家は仏教徒だったのである。

その教会でシスターは世にも不思議な体験をした。

幼いイエズスさまを抱かれたマリアさまの御像が、突然歩いてシスターの傍に来られた。そして、イエズスさまを腕の中に入れてくださった。しばらく、あたたかく柔らかいイエズスさまを夢見心地で抱かせていただいた。

その後、マリアさまはイエズスさまを抱かれて、元の場所へ帰られたという。

シスターはその経験からミッション系の学校へ進学し、成人してシスターになった。

神さまから分岐点を示されたからである。

分岐点

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

「『鏡よ鏡、この国で1番美しいのはだあれ?』すると鏡が答えました。『お妃様、あなたがここでは1番美しい。けれども白雪姫はあなたの100倍も美しい』」嫉妬した妃が白雪姫を殺そうとする展開になるこの物語は、世界中でよく知られている『白雪姫』の粗筋です。妃は、鏡が語る真理を受け入れる事ができませんでした。

聖書の中に似たような話があります。洗礼者ヨハネと言う人が、当時の為政者ヘロデに、彼の結婚の違法性を指摘した時、牢に繋がれ、最終的に、洗礼者ヨハネに恨みを抱いていた妻ヘロディアによって死に至らしめられた事件です。真理を亡き者にしたい人間の姿が、ここにも表れています。(マルコ6・14~29)

大きな権力を持ちながらも、異なった選択をした人もいます。イスラエルの王として著名なダビデです。彼は、自らの弱さに負け、姦淫の罪を犯してしまいます。ここまでは普通の人と同じですが、ダビデの場合、この罪を犯した後、自分の権力を用いて罪を隠蔽しようとします。それに気づいた預言者ナタンは、ダビデをきつく叱責します。この時のダビデの反応は印象的です。「私は主に罪を犯した」。(サムエル記下12・13)彼ほどの立場にいれば、真理を語ったナタンを亡き者にして、自分の立場を守ることもできたはずです。けれどもダビデは、自らの過ちを認め、真理の前に跪きました。その後、ダビデ王は悔い改め、イスラエルの中で最も偉大な王となりました。

私達の人生にも、同様の事があると思います。真理の鏡が真理を示した時、その前で跪く事ができるか否か、それが幸福に至るか否かの分岐点になるのではないでしょうか。


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