分岐点

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

ジャーナリストになろうと思っていた人がミッション系の学校に入学してキリスト教の信仰を得、修道女になったという話を本で読んだ事があります。

道の途上でふとしたきっかけが与えられて角を曲がる。すると想像とは違う世界が開かれ、それが自分にぴったりだったとわかる。それが人生の分岐点、ターニングポイントです。

私のターニングポイントは32歳の時。それまで打ち込んでいたことが自分には向いていないと知らされ、方向転換をした時期です。生活を立て直すためにすぐにするべきことは仕事だったはずです。しかし、何度祈っても心に浮かび、喜びを感じるのは仕事ではなく、その頃取り組んでいた神学の勉強を続けることでした。大きな方向転換をした直後でしたから、冒険はしたくありませんでしたが、あまり計算しないで心に従い、神に信頼して道を選びました。

祈りの中で思い浮かんだことはすぐに決定せず、くり返し神に聞きます。祈り続けると心の底にある本心にぶつかります。嫉妬心や恐怖によって何かを選ぼうとしていると、自由がなく力が出ないことに気付きます。反対に、自分を縛るものがなく、祈れば祈るほど望みが大きくなるときは、神が勧めている道だと考えて進んでいいのです。この時期の私には頼るものが何もなかったので、純粋に神さまに身を寄せることができました。そして、とてもよい結果に恵まれました。

今、私は学校で若い人に聖書を教えながら好きな文章も書いており、満たされた気持ちでいます。人生のターニングポイントとは、神さまが導いてくださる曲がり角のことだと思います。

分岐点

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

大きな失敗や挫折を経て、これまでとはまったく違った人生の1歩を踏み出す。新しい人間に生まれ変わってゆく。刑務所の教誨師として働く中で、そんな場面を目撃することがある。

刑務所に入って来る人たちの中には、あまり恵まれない家庭環境で育ち、愛に飢えた子ども時代を過ごした人も多い。愛の飢えを満たそうとして、何かに強く依存したり、異性に騙されたりするうちに、道を踏み外してしまったという人が多いのだ。そのような人たちの中に、大きな変化を遂げる人がいる。それは、刑務所での生活の中で、自分が親や子どもから愛されていることに気づけた人たちだ。

実際、刑務所に入れられるほどのことをしでかし、独りぼっちになって反省する中で、あるいは、家族から送られて来た手紙を読む中で、自分がこれまでどれだけ家族を悲しませてきたかに気づく人は多い。

ある人は、「自分のことを構ってくれない」と思いこんでいた親が、どれだけ自分を愛してくれていたか。またある人は、身勝手な理由で犠牲にしてきた我が子が、自分をどれだけ愛してくれているか。と、そのことに気づくとき、その人たちの中で何かが大きく変わる。「これほど自分のことを思ってくれる人たちを、もう2度と悲しませてはならない。これからは、この人たちを幸せにしてあげたい」という決意が、その人たちの心の奥底に生まれるのだ。

愛に飢え、自分が愛されることしか考えていなかった人は、自分がどれだけ周りの人たちを悲しませてきたか、自分がどれだけ愛されているかに気づくときに生まれ変わる。愛を求める人から、愛を与える人に生まれ変わるのだ。愛の中から生まれてきた人間は、愛の中でこそ生まれ変わる。それが、1つの真理であるように思う。


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