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わたしの故郷

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

ふる里はどこにあるかと探しても見つからない。しかし、ずっと記憶をたどっていくと、わたしにとってのふる里は、心の中にあると思うようになった。

ろだったと思う。わたしの年齢は2歳半ぐらいで、ようやく言葉が話せるようになった時の出来事が、もしかすると心のふる里と言えるかもしれない。

わたしは廊下のいちばん後ろの壁の前に立っていた。祖母は寒いのに、廊下で雑巾がけをしていた。冷たい水の入ったバケツで雑巾を洗い絞って、また廊下を拭いていた。わたしは祖母を見ながら、自分の着ていた毛糸の洋服のボタンを小さな手で2、3個はずして「ばあちゃん ここに お手こ 入れろ」と言ったのだ。すると驚いたことに祖母は、その場で泣き崩れて涙を流していた。わたしは祖母が泣いているので、心配になって、そばに行った。祖母は涙をぬぐいながら、嬉しそうに私を見つめた。

祖母はこの出来事を何度も母などに話していた。この出来事が祖母にとって、救いになっていたようなのだ。12歳で母親を亡くし、親類を転々として育った祖母の生い立ちを知るにつれて、わたしは小さくても祖母の心のふる里になっていたのかもしれない。

今、私も祖母の年齢に近くなってくると、幼いときのような無垢な行動はできなくなっている。日々、寂寞とした思いに駆られるというのが正直なところだ。それでも、あの幼い時のように、小さなことを大切に生きることができるなら、いつか天のふる里に迎えてもらえるかもしれないと、希望を抱くようになった。