それは、20代でカルカッタに渡り、マザー・テレサのもとでボランティアをしていたときのことだ。当時、深い迷いの中で神父への道を模索していたわたしは、毎日、マザーの隣に座ってロザリオの祈りを唱えていた。苦しい時期ではあったが、そのときに抱いていた「神父になって、苦しんでいる人々に奉仕したい」という気持ちは、確かに本物だったと思う。
シスターたちとロザリオの祈りを捧げているうちに、その頃の気持ちがわたしの心の中に蘇ってくるのを感じた。心が不思議な静かさと力で満たされ、天に引き上げられていくようだった。祈りが終わったとき、わたしの心に巣食っていた疑いはすっかり消えていた。わたしはまったく無力だが、そんなわたしを聖母が守り、神様が使って下さっているということを確信したからだ。
いまわたしは、ロザリオの祈りを唱えるたびに、マザーの隣でロザリオを一生懸命に祈っていたあの頃の気持ちを思い出す。ロザリオの祈りは、神父としてのわたしの歩みの原点と言っていい。